M.O のコメント

よしりん先生のブログ「犬権、牛権はないが、鯨権はあるらしいぜ」を読みました。
しまった! 先に書かれてしまった! ととっさに思いました。
というのは、かつての『ゴー宣』で、「バカな人間の権利よりも、賢い盲導犬の犬権を認めよ! ケンケーン」という「ゴーマン」が書かれていたことを思い出し、そして「自然権の存在を信じる人は、犬権を認めるのだろうか?」疑問に感じたからです。
国家と無関係に自然権というものが存在するのなら、犬にも猫にもミミズにもオケラにもアメンボにも自然権がある、と考えなければおかしい。
だって、みんなみんな生きていて、友達なんだから。

国家という権力や枠組みを考えない時に、自然状態で生きている人間とその他の生物を区別するラインって何なのでしょう?
人間には知性があるから? 社会性があるから?
では反知性的だったり、社会性が欠如した人間と、人間や社会に役立っている盲導犬や災害救助犬を比べると、どうなるのでしょう?
いくら考えても分かりません。

先日の笹師範の基調講演は、当時の人間の立場に自分を投影できるか、ということを問いかけたものだと思うのですが、「国家成立以前」もしくは「無国家状態」の中で生活する人間の立場に自分を投影してみて、彼らが「自然権」などという概念を持ちうるかどうか、想像してみるべきではないでしょうか。
古代や中世において、低い身分に貶められていたり、苦役に従事させられていた人間に、タイムスリップして「これは人権侵害ですよ、不当ですよ」と言ったところで理解されるでしょうか?
単に「自然権」を表現する言葉がなかっただけだ、という以前の問題ではありませんかね。
当の人間に「オレが助けてもらえるんだったら、うちの犬っころも一緒に助けてやってくれ。家族同然なんだ」と言われれば、どう返答すればよいのでしょうか。

ただ、よしりん先生は「鯨権は人権よりも上位にある」という視点を持ち出されて、皮肉を差し挟むというのがさすがだなと思いました。

No.37 74ヶ月前

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