今週も配信ありがとうございます! お疲れ様です。 今週は豪華三本立て・・・いや、豪華四本立てで超贅沢で読み応えたっぷりでした。 みなぼんさんの編集後記プラスアルファに溜飲が下がる思いです。 「ゴー宣」読みました。 安倍首相のコメント「1965年の日韓請求権・経済協力協定によって完全かつ最終的に解決している」「判決は国際法に照らしてありえない判断だ」は、 確かに珍しく真っ当なコメントですね。 そして朝日新聞の記事は、かつて自虐史観が世を席巻していた頃の朝日新聞を思うと、かなりまともな記事になっていて、隔世の感があります。 「戦争論」以降も、八つ墓村的なムラ社会体質は全く変わっていませんが、世を覆っていた自虐史観を大きく払拭したという点では、 物凄く大きな変化だったのだなと改めて感じます。 今回の徴用工問題に関しては、「個人請求権」は消滅していないけれども、その請求先は日本政府ではなく韓国政府というのも、国際法秩序に照らして言えば当然そうなるということも、 よく分かりました。 そして、朝日新聞の論調がここまでまともになっているのに、 極左サイトでは「大マスコミが伝えない真実!」とか言っているのが滑稽です。 その極左サイトやネトサヨをバカにしている極右サイトやネトウヨの主張も結局同じような「大マスコミが~」なのも滑稽です。 今回の問題に関する論が、ネトウヨからは一見的を得ているような論が出ている風に表面的には見えても、 彼らが根本的に寄っているところが腐っているので、どうしようもありません。 というか、日本の誇りとかいう小さなところに持って行こうとする時点で、事の本質からずれています。 結局、ネットだのグローバルだの言っても、人間が同じように進化している訳ではないということを改めて感じます。 徴用工問題の本質がどこにあるのかも、ムラ社会の罵り合い共同体に浸かって反知性ワードまみれで屁理屈をいくら積み上げようと、 いつまでも辿り着けないままであるということは自明の理だと感じます。 20年前の理屈を後追いでいくら再発信し続けても、意味はないということですね。 イデオロギー・信仰が強固になってしまっている人は、法治主義よりも人治主義に身を委ねるようになってしまうのかもしれません。 法秩序を守ろうとするには、主権者である国民の強い意志と理解と理性が不可欠だと感じます。 先人達が積み上げて来た財産が、現代人の怠惰で利己的な気分次第でぶち壊されるのでは、たまったものではありません。 「私の『戦争論』論」読みました。 道場での笹先生の基調講演は素晴らしくて、聞き応えたっぷりでしたが、 こうしてライジングで記事として、さらにプラスアルファもたっぷりにして戴いたものを、 読むことが出来て、とても有り難いことです。 これは、実際に戦時中に戦った若者であった世代のおじいさま達に、たくさん取材されてきた御経験をお持ちの笹先生ならではの論だなと改めて思いました。 そして、戦後日本の平和至上主義こそがネトウヨを生んだ、という着眼点には、ハッとさせられました。 「【福田恆存語録】日本への遺言」についても、不勉強でアホな自分のようなものにも理解出来るように、 記事を引用して戴いたことも感謝です。 つまり、平和至上主義が思考停止、思考の劣化を生んでいるということがよく分かりました。 「ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男」の、チャーチルが徹底抗戦の道を選んだ場面の描写も、印象的です。 楽な道を選ばず、敢えて徹底抗戦を選んだチャーチルに呼応する群衆、これは戦時ゆえの人心の高揚とか、時代ゆえとか、 それだけではないものを感じます。 現代の私達日本人は、今のただれるような平和にすっかり身を委ね、自衛隊員に対しても災害の時には感謝しても、 自衛隊員の本来任務に対しては冷たく余所余所しい態度を取り続ける政府を、結局は高い支持率で支持していることを一顧だにしません。 兎に角、今の自分達さえよければそれでいい、としか思っておらず、 祖父母達の世代から、どれだけ劣化しているのかと痛切に感じます。 祖父母達の世代も、現代の私達も、生物としての「ヒト」としては同じで、 辛い気持ちも、逃げ出したい気持ちも、楽したい気持ちも、卑近な気持ちは同じように持っていたという、ごくごく当たり前のことが、 戦前を「悪」とする思考停止、左翼のイデオロギーにより、世代の断絶を生み、ワタクシにのみひたすら没頭するエゴの塊の「ヒト」を増やし続け、 歴史の縦軸からも社会の横軸からも浮遊する砂粒の個だらけになってしまったということで否定され続けてしまっていたということは 計り知れない損失だったと思います。 私は戦争論が刊行された当時、29歳でしたが、 戦争論を読むまで知らなかったことは当時山ほどありました。 また、うす甘いサヨクだったので、自分が大学生の頃に亡くなった祖父に対しても、どこか余所余所しいままの接し方でいましたし、 子供の頃は祖父の戦時中の話を聞く機会もあったのですが、それに対して特に有難みも感じておらず、 酔っぱらうと祖父の戦友だったおじさんと大声で話し出すので、好きなテレビもゆっくり見れないし、 酒臭いし、嫌だなあ、としか思っていませんでした。 学校教育で、特に自虐史観の教育でどっぷりだったかと言われると、そこまででは無かったかなと思うのですが、 被爆地であったこともあってか、確かに今でいう「平和教育」みたいなものはありましたし、 高校の時の日本史の参考書は、自虐史観どっぷりでした。 大学生の時も、その後社会に出てからも、自覚なき薄甘いサヨクのままでした。 ゴー宣の連載開始時は、自分は23歳でしたが、 ゴー宣を読み始めた20代の頃も、ずっと薄甘いサヨクのままの状態が続いていました。 それが、戦争論を読むことで受けた衝撃は今でも忘れられませんし、 色んなことを知ることが出来、感動を貰い、 祖父は既に亡くなっていましたが、8年前に亡くなった祖母と、 いろいろと話す機会を貰ったことは、今でも深く感謝しております。 そして、ゴー宣の読者であったからこそ、ゴー宣道場を知り、師範方のことを知ったということがありますので、 「変態的」に御仕事を続けて来られた笹さんの、こんなにも情と熱が籠った取り組みを知ることが出来て、本当に良かったと思います。 自分を一番自由にしてくれる束縛は、如何わしい共同体にはありません。 それを大事に思う心を見つめなおす為に、戦争論を始め、ゴー宣シリーズを読み、そして笹さんの御本を読みたいと思います。 「トンデモ見聞録」読みました。 私の地元も、観光県なので大勢の外国人を見ることはしょっちゅうなのですが、 実際に居住する外国人が多い地は、また全然違いますね。 中国人観光客のみんながみんなという訳ではありませんが、 確かに無遠慮というか、国柄と言うか、民族性と言うのか、 集団に出会うとちょっと辟易とすることが結構あります。 観光客ならば、観光が済めば国に帰る訳ですが、 居住者となれば、そこにずっと根を張る訳で、 一帯が外国人の居留地になってしまえば「郷に入っては郷に従え」など、どこ吹く風になってしまいますからね。 日本の各地で資本力がある外国人がどんどん土地を買っているという話も耳にしたことがあります。 安倍政権による実質上の移民受け入れがなされようとしている今、 既に異国に占有されつつある地のレポートはとても貴重ですし、危機感を感じます。 追伸:Q&Aたくさん答えて戴いてありがとうございます。 私以外の質問では、ライスバーガーさん、戦士の背中さん、ラジおじさん、タンク野郎さん、叢叡世さんの質問とその回答が印象に残りました。 しゃべクリは、私以外の方々みなさん素晴らしかったです。 完壁主義者さん、MVPおめでとうございます。 長文になってしまいすみません。
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今週も配信ありがとうございます!
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今週は豪華三本立て・・・いや、豪華四本立てで超贅沢で読み応えたっぷりでした。
みなぼんさんの編集後記プラスアルファに溜飲が下がる思いです。
「ゴー宣」読みました。
安倍首相のコメント「1965年の日韓請求権・経済協力協定によって完全かつ最終的に解決している」「判決は国際法に照らしてありえない判断だ」は、
確かに珍しく真っ当なコメントですね。
そして朝日新聞の記事は、かつて自虐史観が世を席巻していた頃の朝日新聞を思うと、かなりまともな記事になっていて、隔世の感があります。
「戦争論」以降も、八つ墓村的なムラ社会体質は全く変わっていませんが、世を覆っていた自虐史観を大きく払拭したという点では、
物凄く大きな変化だったのだなと改めて感じます。
今回の徴用工問題に関しては、「個人請求権」は消滅していないけれども、その請求先は日本政府ではなく韓国政府というのも、国際法秩序に照らして言えば当然そうなるということも、
よく分かりました。
そして、朝日新聞の論調がここまでまともになっているのに、
極左サイトでは「大マスコミが伝えない真実!」とか言っているのが滑稽です。
その極左サイトやネトサヨをバカにしている極右サイトやネトウヨの主張も結局同じような「大マスコミが~」なのも滑稽です。
今回の問題に関する論が、ネトウヨからは一見的を得ているような論が出ている風に表面的には見えても、
彼らが根本的に寄っているところが腐っているので、どうしようもありません。
というか、日本の誇りとかいう小さなところに持って行こうとする時点で、事の本質からずれています。
結局、ネットだのグローバルだの言っても、人間が同じように進化している訳ではないということを改めて感じます。
徴用工問題の本質がどこにあるのかも、ムラ社会の罵り合い共同体に浸かって反知性ワードまみれで屁理屈をいくら積み上げようと、
いつまでも辿り着けないままであるということは自明の理だと感じます。
20年前の理屈を後追いでいくら再発信し続けても、意味はないということですね。
イデオロギー・信仰が強固になってしまっている人は、法治主義よりも人治主義に身を委ねるようになってしまうのかもしれません。
法秩序を守ろうとするには、主権者である国民の強い意志と理解と理性が不可欠だと感じます。
先人達が積み上げて来た財産が、現代人の怠惰で利己的な気分次第でぶち壊されるのでは、たまったものではありません。
「私の『戦争論』論」読みました。
道場での笹先生の基調講演は素晴らしくて、聞き応えたっぷりでしたが、
こうしてライジングで記事として、さらにプラスアルファもたっぷりにして戴いたものを、
読むことが出来て、とても有り難いことです。
これは、実際に戦時中に戦った若者であった世代のおじいさま達に、たくさん取材されてきた御経験をお持ちの笹先生ならではの論だなと改めて思いました。
そして、戦後日本の平和至上主義こそがネトウヨを生んだ、という着眼点には、ハッとさせられました。
「【福田恆存語録】日本への遺言」についても、不勉強でアホな自分のようなものにも理解出来るように、
記事を引用して戴いたことも感謝です。
つまり、平和至上主義が思考停止、思考の劣化を生んでいるということがよく分かりました。
「ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男」の、チャーチルが徹底抗戦の道を選んだ場面の描写も、印象的です。
楽な道を選ばず、敢えて徹底抗戦を選んだチャーチルに呼応する群衆、これは戦時ゆえの人心の高揚とか、時代ゆえとか、
それだけではないものを感じます。
現代の私達日本人は、今のただれるような平和にすっかり身を委ね、自衛隊員に対しても災害の時には感謝しても、
自衛隊員の本来任務に対しては冷たく余所余所しい態度を取り続ける政府を、結局は高い支持率で支持していることを一顧だにしません。
兎に角、今の自分達さえよければそれでいい、としか思っておらず、
祖父母達の世代から、どれだけ劣化しているのかと痛切に感じます。
祖父母達の世代も、現代の私達も、生物としての「ヒト」としては同じで、
辛い気持ちも、逃げ出したい気持ちも、楽したい気持ちも、卑近な気持ちは同じように持っていたという、ごくごく当たり前のことが、
戦前を「悪」とする思考停止、左翼のイデオロギーにより、世代の断絶を生み、ワタクシにのみひたすら没頭するエゴの塊の「ヒト」を増やし続け、
歴史の縦軸からも社会の横軸からも浮遊する砂粒の個だらけになってしまったということで否定され続けてしまっていたということは
計り知れない損失だったと思います。
私は戦争論が刊行された当時、29歳でしたが、
戦争論を読むまで知らなかったことは当時山ほどありました。
また、うす甘いサヨクだったので、自分が大学生の頃に亡くなった祖父に対しても、どこか余所余所しいままの接し方でいましたし、
子供の頃は祖父の戦時中の話を聞く機会もあったのですが、それに対して特に有難みも感じておらず、
酔っぱらうと祖父の戦友だったおじさんと大声で話し出すので、好きなテレビもゆっくり見れないし、
酒臭いし、嫌だなあ、としか思っていませんでした。
学校教育で、特に自虐史観の教育でどっぷりだったかと言われると、そこまででは無かったかなと思うのですが、
被爆地であったこともあってか、確かに今でいう「平和教育」みたいなものはありましたし、
高校の時の日本史の参考書は、自虐史観どっぷりでした。
大学生の時も、その後社会に出てからも、自覚なき薄甘いサヨクのままでした。
ゴー宣の連載開始時は、自分は23歳でしたが、
ゴー宣を読み始めた20代の頃も、ずっと薄甘いサヨクのままの状態が続いていました。
それが、戦争論を読むことで受けた衝撃は今でも忘れられませんし、
色んなことを知ることが出来、感動を貰い、
祖父は既に亡くなっていましたが、8年前に亡くなった祖母と、
いろいろと話す機会を貰ったことは、今でも深く感謝しております。
そして、ゴー宣の読者であったからこそ、ゴー宣道場を知り、師範方のことを知ったということがありますので、
「変態的」に御仕事を続けて来られた笹さんの、こんなにも情と熱が籠った取り組みを知ることが出来て、本当に良かったと思います。
自分を一番自由にしてくれる束縛は、如何わしい共同体にはありません。
それを大事に思う心を見つめなおす為に、戦争論を始め、ゴー宣シリーズを読み、そして笹さんの御本を読みたいと思います。
「トンデモ見聞録」読みました。
私の地元も、観光県なので大勢の外国人を見ることはしょっちゅうなのですが、
実際に居住する外国人が多い地は、また全然違いますね。
中国人観光客のみんながみんなという訳ではありませんが、
確かに無遠慮というか、国柄と言うか、民族性と言うのか、
集団に出会うとちょっと辟易とすることが結構あります。
観光客ならば、観光が済めば国に帰る訳ですが、
居住者となれば、そこにずっと根を張る訳で、
一帯が外国人の居留地になってしまえば「郷に入っては郷に従え」など、どこ吹く風になってしまいますからね。
日本の各地で資本力がある外国人がどんどん土地を買っているという話も耳にしたことがあります。
安倍政権による実質上の移民受け入れがなされようとしている今、
既に異国に占有されつつある地のレポートはとても貴重ですし、危機感を感じます。
追伸:Q&Aたくさん答えて戴いてありがとうございます。
私以外の質問では、ライスバーガーさん、戦士の背中さん、ラジおじさん、タンク野郎さん、叢叡世さんの質問とその回答が印象に残りました。
しゃべクリは、私以外の方々みなさん素晴らしかったです。
完壁主義者さん、MVPおめでとうございます。
長文になってしまいすみません。