こんな、「いつ地雷を踏むか分からない社会」なんて生きた心地がしないと思います。現代は、一生同じ場所で同じ面子が暮らす村社会の時代ではないのです。それなのに、自由と個を背負う覚悟のない大衆は、事あるごとに世間を「設定」したがる。しかし、共同体が崩壊して生身の人間の持つ情感が抜け落ちているから、醸成される「世間」は常に偏ったものとなり暴走する。生贄を捧げないと共同性が保てない原始社会の如く、「世間」もまた劣化の一途を辿っているように思えます。 極右雑誌の隆盛も、紐帯を失った老人が、「あいつら」を作り出して叩くことでなけなしの共同性を確保したいという憐れな試みに由来していないか。それはやはり社会をよりよくしていこうという試みとは真逆であり「生産性がない」と指摘しておくべきでしょうね。ネトウヨから脱却した「信者」がまた戻ってしまうのも「寂しいから」でしょう。独りでも寂しくない人間になれ、ですね。自分の感受性くらい自分で守れ、ばかものよ、です。
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小林よしのりチャンネル
(ID:19522841)
こんな、「いつ地雷を踏むか分からない社会」なんて生きた心地がしないと思います。現代は、一生同じ場所で同じ面子が暮らす村社会の時代ではないのです。それなのに、自由と個を背負う覚悟のない大衆は、事あるごとに世間を「設定」したがる。しかし、共同体が崩壊して生身の人間の持つ情感が抜け落ちているから、醸成される「世間」は常に偏ったものとなり暴走する。生贄を捧げないと共同性が保てない原始社会の如く、「世間」もまた劣化の一途を辿っているように思えます。
極右雑誌の隆盛も、紐帯を失った老人が、「あいつら」を作り出して叩くことでなけなしの共同性を確保したいという憐れな試みに由来していないか。それはやはり社会をよりよくしていこうという試みとは真逆であり「生産性がない」と指摘しておくべきでしょうね。ネトウヨから脱却した「信者」がまた戻ってしまうのも「寂しいから」でしょう。独りでも寂しくない人間になれ、ですね。自分の感受性くらい自分で守れ、ばかものよ、です。