今週も配信ありがとうございます。 「属人化」と「標準化」という言葉は初めて知りました。 「属人」って「属国」に見た目が似た熟語だから、奴隷のようなネガティブな意味かと思ったら、そうではなかったんですね。 要は、替えの利かないプロを目指せ、さもないと経営者から簡単に切られるぞ、労働者が「標準化」を両手を挙げて支持するのは、自分で自分の首を絞めるようなものだぞ、という論旨なのだと思います。 全くその通り――といいますか、当たり前すぎて、議論の俎上に上がっているという現状に驚きです。 小林先生としては、こんな分かり切ったことで『ライジング』の一号を費やすのは不本意だったのでは、と想像さえしました。 コメント欄には、「マニュアル化したってよい」「マニュアルは必要」という書き込みが見受けられたのですが、マニュアルそのものを全否定する記述などどこにもありません。 仕事の基礎を学ぶ時はマニュアルが有効である場合が多いことは、分かり切っています。 そうではなく、そのマニュアル通りのままの仕事ぶりで、「会社の中の歯車」という状態に甘んじることを、労働者の側が望むというのは感覚的におかしい、ということですよね。 ここで思い浮かんだことが2つ。 1つは、「会社の中の歯車」的な仕事は、モノによっては将来的にAIに取って代わられる可能性があるのではないか、ということ。 話題の書『AI vs. 教科書が読めない子供たち』を読んだ限りでは、AIはビッグデータとネット検索をベースにした演算処理は得意中の得意(というか、それしか出来ない)なので、マニュアル化された作業を任せるにはもってこいであるようです。 実際、みずほ銀行では、個人に対する与信審査をAIに任せて、大幅な時間短縮を達成できたそうです(実験的な取り組みかもしれませんが)。 経営者にとっては人件費をカットできるし、労働時間を気にすることもないので、いいことずくめです。 ちなみに同書では、AIが普及した社会の「最悪の結末」として、人手不足であるにも関わらず失業者があふれている状態――何故なら、AIには出来ない仕事を任せられる人材が見当たらないから――に言及しています。 「マニュアル化」にこだわる社会に、未来はあるでしょうか。 もう1つは、「替えの利かないプロ」というのは、先の国会で議論されていた「高度プロフェッショナル」に属するものも含まれるのだろう、ということ。 結果的に「高プロ制度」は見送られましたが、あれは要するに「高プロ」の労働時間を増やすことで、それ以外の労働者が「高プロ」となるためのスキルを学ぶ機会を減らし、数少ない「高プロ」の長時間労働・数多く存在する「歯車的労働者」の標準時間労働という状況をつくりあげることで、人件費を抑えよう、という経団連らの目論見だったのではないでしょうか。 こう考えると、労働者がマニュアル化を積極的に支持するのは、やはりおかしいと感じます。 「マニュアル化もアリ」ではなく、「マニュアルは属人化に到るためのひとつの道具」ぐらいに考えるのが正しいのではないでしょうか。 ただ、日本人はマニュアルが好きなんだろうな、と思います。 「個」が弱いからなのか、「皆と同じ」という方向へ流れていきますからね。 リスクも背負いたくないですもんね。 でも、そういう状態こそが「奴隷根性」なのではないか、とも思います。 私が最初に抱いていたイメージと逆で、「標準化」の方が「属国民」に近かったのですかね。
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今週も配信ありがとうございます。
「属人化」と「標準化」という言葉は初めて知りました。
「属人」って「属国」に見た目が似た熟語だから、奴隷のようなネガティブな意味かと思ったら、そうではなかったんですね。
要は、替えの利かないプロを目指せ、さもないと経営者から簡単に切られるぞ、労働者が「標準化」を両手を挙げて支持するのは、自分で自分の首を絞めるようなものだぞ、という論旨なのだと思います。
全くその通り――といいますか、当たり前すぎて、議論の俎上に上がっているという現状に驚きです。
小林先生としては、こんな分かり切ったことで『ライジング』の一号を費やすのは不本意だったのでは、と想像さえしました。
コメント欄には、「マニュアル化したってよい」「マニュアルは必要」という書き込みが見受けられたのですが、マニュアルそのものを全否定する記述などどこにもありません。
仕事の基礎を学ぶ時はマニュアルが有効である場合が多いことは、分かり切っています。
そうではなく、そのマニュアル通りのままの仕事ぶりで、「会社の中の歯車」という状態に甘んじることを、労働者の側が望むというのは感覚的におかしい、ということですよね。
ここで思い浮かんだことが2つ。
1つは、「会社の中の歯車」的な仕事は、モノによっては将来的にAIに取って代わられる可能性があるのではないか、ということ。
話題の書『AI vs. 教科書が読めない子供たち』を読んだ限りでは、AIはビッグデータとネット検索をベースにした演算処理は得意中の得意(というか、それしか出来ない)なので、マニュアル化された作業を任せるにはもってこいであるようです。
実際、みずほ銀行では、個人に対する与信審査をAIに任せて、大幅な時間短縮を達成できたそうです(実験的な取り組みかもしれませんが)。
経営者にとっては人件費をカットできるし、労働時間を気にすることもないので、いいことずくめです。
ちなみに同書では、AIが普及した社会の「最悪の結末」として、人手不足であるにも関わらず失業者があふれている状態――何故なら、AIには出来ない仕事を任せられる人材が見当たらないから――に言及しています。
「マニュアル化」にこだわる社会に、未来はあるでしょうか。
もう1つは、「替えの利かないプロ」というのは、先の国会で議論されていた「高度プロフェッショナル」に属するものも含まれるのだろう、ということ。
結果的に「高プロ制度」は見送られましたが、あれは要するに「高プロ」の労働時間を増やすことで、それ以外の労働者が「高プロ」となるためのスキルを学ぶ機会を減らし、数少ない「高プロ」の長時間労働・数多く存在する「歯車的労働者」の標準時間労働という状況をつくりあげることで、人件費を抑えよう、という経団連らの目論見だったのではないでしょうか。
こう考えると、労働者がマニュアル化を積極的に支持するのは、やはりおかしいと感じます。
「マニュアル化もアリ」ではなく、「マニュアルは属人化に到るためのひとつの道具」ぐらいに考えるのが正しいのではないでしょうか。
ただ、日本人はマニュアルが好きなんだろうな、と思います。
「個」が弱いからなのか、「皆と同じ」という方向へ流れていきますからね。
リスクも背負いたくないですもんね。
でも、そういう状態こそが「奴隷根性」なのではないか、とも思います。
私が最初に抱いていたイメージと逆で、「標準化」の方が「属国民」に近かったのですかね。