lkfaeani のコメント

ライジングの配信、ありがとうございます。

見聞録では、これまでに引き続き、男女平等という耳触りのよい言葉の裏に潜む、欧州の実態を暴いていただきました。
平等主義者や人権主義者が、決して他者に寛容ということではないことが明白になりました。彼らもまた、自分の考えに拘泥してしまった自己中心的な人達なのだとわかります。

ただ、イデオロギーへの盲信に対する警戒心を抜きにすれば、今回取り上げられたスウェーデンとスイスの事例は、どちらが悪いとも言い切れないようにおもいます。
スイスの場合、宗教上の理由で握手を拒否されただけで非難を浴びせる、というのは、日本人としては過剰な反応に思えます。
しかし、中立国であり、多言語・多民族国家であるスイスとしては、ただでさえ多様性に富んだ国民を1つにまとめるために、こうしたルールを厳守させることが必要不可欠だという事情も汲み取れます。

良い悪いというレベルの話でなく、現実としてどの共同体にも譲れない一線があり、それを他者が無闇に非難しても始まらない。
お互いが折り合いをつけて住み分けていくしかない。
そのためにも、自分の立場を定め、相手のことをよく知ることが必要だと思います。


ゴー宣では、「コンテンツ」と「作品」の違いを示される中で、商業主義に偏り過ぎる権力側の欺瞞をあらわにするとともに、創作者としての作品に対する熱い思いが強く伝わってきました。

「コンテンツ」という言葉に触れるとき、そこには創作者としての誇りというよりは、「売って、広める」という商売者としての誇りが感じられます。先生ご自身が仰る通り、この商売者としての誇り自体は尊重すべきものだと思います。
ただ、(おそらく特に)日本では、作品としての価値と商品としての価値は混同されやすく、しかも商品としての価値こそが至高の価値であるかのように扱われているように感じます。そこによしりん先生は忸怩たる思いを抱かれているのではないでしょうか。

作品としての価値とは、売り上げではなく、評論家による高評価でもなく、見た者のの心を掴み、人生に影響を与える力だと思います。だから作品としての価値を理解できないということは、自分の人生に対して価値を見出せないということを意味します。人生に価値を見出せないまま、金を稼ぐことだけに執心する姿は、エコノミックアニマルという以外の表現が見つかりません。

「コンテンツ」ととるか「作品」ととるかは、己の人生観に関わってくる問題だと思います。
文化や作品を単なる消費の対象とみなさず、自分の人生をより豊かにしてくれるものという意識を持ち続けていきたいと思います。

No.76 67ヶ月前

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