「海外出羽の守」の話がインパクトが大きすぎて、よしりん先生や木蘭先生が言わんとするところを誤解してしまっている方が、ひょっとしたらおられるのではないか、と危惧しています。 海外の事情について語ること自体は悪いことではないし、情報や知識としてそれらを頭に入れることも悪いことではないはずです。 その中で、これは海外を見習った方がよいのではないか、という部分については、国内の事情も鑑みながら議論して考えていく、ということまでを「海外出羽の守」として否定しているわけではないと考えています。 そもそも昨年の今頃、山尾志桜里議員の「不倫疑惑報道」において、フランスでは政治家は能力のみで評価される、日本は「八つ墓村」のままだ、とよしりん先生が喝破されていたばかりではないですか。 民主主義、報道の自由、表現の自由など、日本はまだまだ欧米に学ぶところは多いと思います(同時に「それはどうなのか」と疑義を挟むべき部分もあるでしょう)。 また、『スタンフォード式 最高の睡眠』『歯はみがいてはいけない』といった本を読むと、睡眠やデンタルケアについて日本が如何に「ガラパゴス化」しているか、という事実を痛感させられます。 「健康」については、人種による身体的特徴の違いから、特定のメソッドにおいて有効であるか否かの差が生じることはありますが、そもそもの発想や考え方が大きく遅れている、という点においては、やはり海外に学ぶ必要があります(少なくとも、認識を新たにする、という意味において)。 つまり、「海外出羽の守」は、「日本は日本」と内向きになれ、と言っているわけではないと思います。 機械的に内外の数値的な差だけを取り上げて、上位に位置する国を「理想的」とひたすら称賛し、「それにひきかえ日本は」と一面的な視点で批判をする、という狭い議論は無意味ではないか、と説いているのではないでしょうか。 数値として客観的に評価しやすい医療技術や産業テクノロジーは、学ぶべきはどんどん学べば良いし、「保守」ならば民主主義、立憲主義、リベラリズム、ジャーナリズム、個人主義など、海外と比較して日本のそれらの善し悪しを考察する、という態度は必須かと思います。 「海外出羽の守」を必要以上に受け入れて「攘夷」にまで振れるのはナンセンス。 結局の所、バランス感覚が最も重要なのだと思います。
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小林よしのりチャンネル
(ID:2345820)
「海外出羽の守」の話がインパクトが大きすぎて、よしりん先生や木蘭先生が言わんとするところを誤解してしまっている方が、ひょっとしたらおられるのではないか、と危惧しています。
海外の事情について語ること自体は悪いことではないし、情報や知識としてそれらを頭に入れることも悪いことではないはずです。
その中で、これは海外を見習った方がよいのではないか、という部分については、国内の事情も鑑みながら議論して考えていく、ということまでを「海外出羽の守」として否定しているわけではないと考えています。
そもそも昨年の今頃、山尾志桜里議員の「不倫疑惑報道」において、フランスでは政治家は能力のみで評価される、日本は「八つ墓村」のままだ、とよしりん先生が喝破されていたばかりではないですか。
民主主義、報道の自由、表現の自由など、日本はまだまだ欧米に学ぶところは多いと思います(同時に「それはどうなのか」と疑義を挟むべき部分もあるでしょう)。
また、『スタンフォード式 最高の睡眠』『歯はみがいてはいけない』といった本を読むと、睡眠やデンタルケアについて日本が如何に「ガラパゴス化」しているか、という事実を痛感させられます。
「健康」については、人種による身体的特徴の違いから、特定のメソッドにおいて有効であるか否かの差が生じることはありますが、そもそもの発想や考え方が大きく遅れている、という点においては、やはり海外に学ぶ必要があります(少なくとも、認識を新たにする、という意味において)。
つまり、「海外出羽の守」は、「日本は日本」と内向きになれ、と言っているわけではないと思います。
機械的に内外の数値的な差だけを取り上げて、上位に位置する国を「理想的」とひたすら称賛し、「それにひきかえ日本は」と一面的な視点で批判をする、という狭い議論は無意味ではないか、と説いているのではないでしょうか。
数値として客観的に評価しやすい医療技術や産業テクノロジーは、学ぶべきはどんどん学べば良いし、「保守」ならば民主主義、立憲主義、リベラリズム、ジャーナリズム、個人主義など、海外と比較して日本のそれらの善し悪しを考察する、という態度は必須かと思います。
「海外出羽の守」を必要以上に受け入れて「攘夷」にまで振れるのはナンセンス。
結局の所、バランス感覚が最も重要なのだと思います。