希蝶 のコメント

遅ればせながら、感想を記します。

ゴーマニズム宣言・第290回「新元号を巡る議論を整理する」

以前にも記しましたが、私は一年、あるいは年度で二つの元号が存在するのは不便だと思っていましたが、南北朝時代にも別々の元号があったり、源平合戦の時にも安徳天皇とは別に後鳥羽天皇の元号が制定されたりと、「天皇」の存在が元号を左右する、というのはよくわかります。ちなみに、唯一の元日改元の「天応」も、その年の4月に光仁天皇が譲位し、桓武天皇が即位してから、翌年の8月には「延暦」に改元されています。その事例から見ても、改元にはある程度の時間と準備が必要なのか、とも思えるのですが、かと思うと、聖武天皇の天平感宝元年が僅か3ヶ月(で、その年のうちに孝謙天皇が即位して、天平勝宝元年になった、という事例もあるので、便宜性で判断してはならないのかな、と思いました。
あといちおう参考までに記すと、縁起が悪い時だけではなく、祥瑞改元、つまり吉兆の見えた時や(「天平感宝」も「天応」もそう)、十干十二支に基づいた改元もある、ということをつけ足しておきます。新天皇の即位も祥瑞であって欲しい、と願います。

泉美木蘭のトンデモ見聞録・第94回「ネトウヨ珍クレーム集」

私もあまり「ネトウヨ」という語は好きではないのだけれども、ネットを媒介として右翼的な言動をしている人たちがここまで物を考えていない、あるいは自分の都合の良いように世界を見ているのか、と驚かされました。夏目漱石の『夢十夜』に手ぬぐいが蛇になると念じる男の話や、明治の木には運慶は埋まっていないとかいうのがありましたけれども、それと同じで、信じる者は救われるとか、土台となる時代が異なっていたら、いくら同じようなことを語っていても、それは別物で、元々魂がないのだから無価値だ、ということなのでしょうか。色香に惑わされて、豚の鼻をたたきつづける羽目におちいらなければ宜しいのですが。
あと、仲間でなければ敵で、右でなければ左だときめつけるのは、中間が見えていないからで、人間は真逆なことを考えたり、極論から極論に移るのは得意でも、黒でも白でもない「灰色」の存在を想記するのは不得手なのではないか、とも思いました。山椒魚は体が大きくなりすぎて岩屋から脱出できず、蛙を巻き添えにするのですが、ネトウヨのしていることもそれと同じのように感じられました。

客観的な視座が劣っている、という意味では自分も人のことを笑えない、とも思っています。

No.91 76ヶ月前

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