hiro のコメント

当時のことを思い出しています。
私は98年、99年と高校の社会科教師をしていました。
生徒はちょうど自虐史観まっただ中の教育を受けてきた子たち。
「どんな授業を受けたい?」と聞くと、
「日本が悪いことをした話」と答えたのを覚えています。
「縛られているところとか?」と聞くと
「そうそう」と答えてきました。
もう一人の先生はそっち系の人でどんどんとそのような話をしていました。
私がそのような授業をしなかったのは、
自虐史観の授業を受けなかった世代であったのと、
やはりゴー宣と戦争論を読んでいたことが大きかったです。
大学内の社会科教師を目指すゼミでも「自虐史観」について
しばしば論争になっていました。
そもそも「自虐史観」という言葉が広まったのも後に「つくる会」
のメンバーとなった人たちとゴー宣の影響であったと記憶しています。
慰安婦について吉見義明教授の論理を見事に調べ上げ、吉田清治の
体験談等でなく「広義の強制性」といった学説を発表していた
女子学生に対して「その学説の意義と限界は?」「当時も今までも
なかった学説だろ?」と返したり、
大学院生が調べていた「東京裁判」についても「事後法」で裁かれた、
ということが当時は何となくですが分かっていたり、
そのような知識はゴー宣を通して得たものです。
「自虐史観」の対抗軸として存在していたのは常に
「つくる会」の自由史観とゴー宣であったことは当時大学の研究室にいて、
経験したことからも間違いのないことであったように思います。
(「つくる会」は97年設立のようで、当時は「藤岡信勝の」とか言っていました)
大学時代は戦争論は出ていませんが、
単行本になる前から言論界にはゴー宣が影響を与えていたと思われます。
ちなみに社会科の先生同士では争いを避けるためにそのような話はしません。
戦争論発行以降2002年の日韓ワールドカップのころからは大きく右に振れ、
小学校で「教科書はこれ」と言っていたそっち系の先生の言葉も思い出しました。
例の「そこまで言って委員会」だったと思うのですが、その後当時を振り返り、
「戦争論以前」と「戦争論以降」という言葉を使って
「戦争論で空気が変わった」といったことが言われてみました。
その当時もあ、そうやなあと納得したのですが、
戦争論発行から20年が経ち、発行より少し前のことが主でしたが、
今回のライジングで改めて当時のことを思い出すことができました。

No.54 75ヶ月前

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