皿うどんボンバー のコメント

「ゴー宣」(ライジング)感想です。

「自称」保守も欺瞞に満ちた存在である訳ですが、「自称」リベラルも欺瞞だらけの存在だと改めて考える現在です。
どちらもひたすら「保身」で、ひたすら「私」・・・。
欺瞞に満ちた存在である訳ですが、本当に批判する為には、自分にも刃を向けつつ批判する構えが要ります。

しかし「現在の自分自身」に「下駄を履かせる」為に(保身と、その為の他者へのディスりの為に)、
ありとあらゆる詭弁を弄する様を、客観的に分析されることは、
これほど恥ずかしいことはないのですが、
竹内久美子のキャンタマ論で、それが行きつくところまで来ちゃったのかな、という感じもしてしまいます。

小林先生の、竹内久美子の論(?)へのツッコミで、読んでいて思わず声出して笑ってしまいます。
「さておくなよ!」とか「この人わしより若いのに、なんで挙げる俳優がこんなに古いんだ?」とか。

しかし「学者」になれなかった竹内久美子の「被害者意識」や、
それに呼応してしまった川村二郎の、孤独な老人としての寂しさ、
コトがそれだけだったら、
同じような境遇にあっても、そうなっていない人も多数いる中での、
バランスを欠いている竹内氏や川村氏のような人物の問題、ということになりますが、
そんな「無自覚」の中に、ナチスの優性思想に繋がってしまう落とし穴がある、ということが恐ろしい考察でした。

私は、所謂左派の人達が、安倍首相をヒトラーに準えたり、安倍内閣をナチスに準えたり、
或いは戦前の日本に準えたりする批判がイマイチ、ピンと来なくて、
流石にそれは違うだろう・・・と思っていたクチですが、
現在のマスコミ・野党・左派に見られる「セクハラ・ヒステリー」が全体主義化していくことや、
自称保守が持ち上げるトンデモ説の中に、かつての歴史に刻まれた悪夢へ繋がる落とし穴へと繋がるモノがある、ということを、
保守を自称する者、リベラルを自称する者、
或いはそういう大層な思想は持っていないよ、俺は普通だよ、と思っている多くの人にも、
どこかにそういう落とし穴が近くにあるのかもしれない、
そこに陥らない為には、バランス感覚が本当に大事だな、と改めて考える次第です。

セクハラ・男女差別の件に関しては、
小林先生や笹先生の無料ブログの方も読んで、
細かく考えていくことの大切さを改めて噛みしめております。

上記のライスバーガーさんの書き込みも、近い事を考えておりました。
ただ、生放送やライジングで「言語化」して、それが即ち「答え」ではないのかな、とも思っております。
世間が狂熱に陥り易くなっている時に、考えることで、自分を客観視するきっかけになるのかなと。
うまく言えませんが。

No.90 80ヶ月前

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