tasuu のコメント

 配信ありがとうございます。
 「もっとグ~ンとそそり立たなあかんよ~」
 籠池のおっちゃん笑。面白かった!

 セクハラにまつわる、よしりんの意見には賛成出来るものもあれば、
どうしても違和感が拭えないものもあります。

 特に、違和感があるのは、「太田房江参院議員は『受け取る人がセクハラだと思ったら
セクハラ。それも知らないなんて』と言っている。こんな無茶苦茶な判断基準が許されるのか?」、
「たかが『セクハラ発言』(触られてもいない)で、それほど傷つくという言い分も承服できない。」という部分です。

 私も、矢野康治氏の感覚は「常識」だと思いますし、たかが「セクハラ発言」でそこまで傷つくのかと疑問に思っていました。
 しかし、以前、「言葉」でのセクハラ(第三者から見れば、単なる「冗談」のレベル)を訴える女性から相談を受けた際、その女性が泣きながら、どれだけ自分が傷ついているのか主張するのを聞いて、少し考えが変わりました。
 世の中には、このようは「発言」で本当にショックを受け、会社に行けなくなってしまうほどナイーブな人もいることを知って、こういう人に大人になってから、「その程度のこと、気にしなくてもいいのでは」とか言っても仕方がないのではないかと思うようになってしまいました。

 その女性は結局、会社を辞めたので、自身のナイーブさが自身の不利益につながっていると思います(他の人であれば、許容できることが、許容出来なかった。)。
 福田事務次官のセクハラを訴えたジャーナリストも、今後、ジャーナリストとしての仕事は難しいと思いますので、自身のナイーブさでそれなりのペナルティを受けることになると思います。

 一般的な基準からみて極端にナイーブな人も存在する以上、当事者を基準にした「セクハラ」の訴えは認めざるを得ないのではないでしょうか。「セクハラ」を「常識」で判断した場合、結局は「常識」によって少数者を抑圧することになると思います。
 問題なのは、何が「セクハラ」に該当するのかの基準が曖昧であることではなく、「常識」的にみて「軽微なセクハラ」も、重大な問題として扱われてしまうことだと思います。
 「セクハラ」の認定は、当事者の認識を基準にした上で、セクハラが「重大」か「軽微」かは「常識」に従って判断し、セクハラに対するペナルティの軽重も、「常識」に従って決定されるべきだと思います(軽微なものは口頭で注意して、被害を訴える人には、「セクハラ」と主張することは言わないようにする等)。

No.80 72ヶ月前

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