配信、ありがとうございます。 「ロダンには創作意欲が満ちあふれ、彼女をモデルにした大量のデッサンと、相当数の名作彫刻が掘られている。カミーユは、ロダンという創作者のミューズだったのだ」 俺はこの部分に、カミーユがすごくツラかっただろうと感じます。 カミーユがロダンの名作彫刻の作成の過程において、どれくらいカミーユが汗を流し、苦心を共にし、名作に貢献してきたのか解らないが、これを全て、「ロダンの名作」として残されては、カミーユもたまったものではないでしょう。 夫婦関係が円満で続くのであれば、ともかく… 才能というのは、個性、独自性、オリジナリティー〔独創性〕があるのだと思います。 そこへ、数多くの分野があり、分岐するものだと思います。 音楽〔分野〕ならジャズ、クラシック、ロック、テクノ〔分岐〕など。 漫画で例えるなら、ギャグ漫画を世に出して、認めてもらえる漫画が描ける作家。 これを、「女が描く様な、恋愛漫画の名作を描いてくれ」となれば、多分、不可能だと思います。 少女漫画の名作を手掛けてきた作者に、「世に出せるギャグ漫画を描いてくれ」と言うのと同じです。 音楽、芸術、漫画、芸能。 自分の才能とは、自分の独自性が一番輝くものを選ぶものだと思っています。漫画家も多分然り。 その独自性の才能が、その時代、その大勢の大衆の感性によって、認めてもらうのは本当に難しい事です。 例え、自分にとっては良い作品と捉えても、周りに認めてもらう事が出来なければ、ただの独りよがりですから。 右は文章のコピーです。その後カミーユは、音楽家ドビュッシーとつきあったりしながら、創作に乗り出す。 けど「ロダンのパクりだ」と言われて、不評となる。 ロダンのミューズ”カミーユ・クローデルと言われる位なのだから、作品としては極論で言うとロダンではなく、カミーユの作品 だったのかも知れない。もしくはロダンとカミーユの合作と言ったところかも知れません。 元々、カミーユの独自性の作品で「ロダンの作品」として世に出ているなら、カミーユが作品を手掛けても、自分の独自性から逸脱して、作品を手掛けない限り、「ロダンの作品のマネ」と言われても仕方がないのかも知れない。 愛情でロダンに裏切られ、作品はロダンの物とされ…、更に自分の作品を世に出しても、ロダンのマネと言われ、その苦痛と苦難は受け入れ難いものだと思います。 その憎しみの矛先が、ロダンに行っても仕方がなかったのかも知れません…
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小林よしのりチャンネル
(ID:45581764)
配信、ありがとうございます。
「ロダンには創作意欲が満ちあふれ、彼女をモデルにした大量のデッサンと、相当数の名作彫刻が掘られている。カミーユは、ロダンという創作者のミューズだったのだ」
俺はこの部分に、カミーユがすごくツラかっただろうと感じます。
カミーユがロダンの名作彫刻の作成の過程において、どれくらいカミーユが汗を流し、苦心を共にし、名作に貢献してきたのか解らないが、これを全て、「ロダンの名作」として残されては、カミーユもたまったものではないでしょう。
夫婦関係が円満で続くのであれば、ともかく…
才能というのは、個性、独自性、オリジナリティー〔独創性〕があるのだと思います。
そこへ、数多くの分野があり、分岐するものだと思います。
音楽〔分野〕ならジャズ、クラシック、ロック、テクノ〔分岐〕など。
漫画で例えるなら、ギャグ漫画を世に出して、認めてもらえる漫画が描ける作家。
これを、「女が描く様な、恋愛漫画の名作を描いてくれ」となれば、多分、不可能だと思います。
少女漫画の名作を手掛けてきた作者に、「世に出せるギャグ漫画を描いてくれ」と言うのと同じです。
音楽、芸術、漫画、芸能。
自分の才能とは、自分の独自性が一番輝くものを選ぶものだと思っています。漫画家も多分然り。
その独自性の才能が、その時代、その大勢の大衆の感性によって、認めてもらうのは本当に難しい事です。
例え、自分にとっては良い作品と捉えても、周りに認めてもらう事が出来なければ、ただの独りよがりですから。
右は文章のコピーです。その後カミーユは、音楽家ドビュッシーとつきあったりしながら、創作に乗り出す。
けど「ロダンのパクりだ」と言われて、不評となる。
ロダンのミューズ”カミーユ・クローデルと言われる位なのだから、作品としては極論で言うとロダンではなく、カミーユの作品
だったのかも知れない。もしくはロダンとカミーユの合作と言ったところかも知れません。
元々、カミーユの独自性の作品で「ロダンの作品」として世に出ているなら、カミーユが作品を手掛けても、自分の独自性から逸脱して、作品を手掛けない限り、「ロダンの作品のマネ」と言われても仕方がないのかも知れない。
愛情でロダンに裏切られ、作品はロダンの物とされ…、更に自分の作品を世に出しても、ロダンのマネと言われ、その苦痛と苦難は受け入れ難いものだと思います。
その憎しみの矛先が、ロダンに行っても仕方がなかったのかも知れません…