希蝶 のコメント

少し、へりくつみたいなことを記しますので、お許しください。

先だって記したことについて、ちょっと言ひ過ぎだったかも知れません。
ただ、かういふコメントはよみたい人がよめばよいのかな、と思ふので、自分の好きなやうに記すのが良いのかな、と思ってゐます。内容がつまらなかったり、的外れだったり、忙しかったら、よみとばしてしまって良い、と思ってゐます。後でじっくりといふのでも良いのだから。
一往、これは師範の方々もみてゐるかも知れないので、気を引き締めて投稿してゐるのも事実です。自分にしか記せないやうなことを述べないといけないのでは、とも。
なほ、Q&A欄の方はスピード性が問題だとも思ひましたし、よしりん先生もみなぽんさんも多忙だらうと思ったので、「現代仮名遣い」「新字体」の方を使ひました。それでも一度没になってゐるので、やはり自分の疑問と思ったことはつまらないことだったんだらうと内省しました。

実はかう言はれたこともあります「生徒に教へる内容が増えるだけだ」と。
そのどこが問題なのか、と思ふのですが。物事は、量ではなく、いかに関連付けて覚えられるかであって、ミステリーだって、てがかりが多い方が推理しやすいだろうと思ふわけで(上述の話題になりますが、人間心理だって、さうだと思ふ)、物事は複雑にする方が実は単純になる場合もある、と思ふわけです。だから、私たちは「考へる」といふ行為を続けるのだと思ふのです。
歴史の縦糸とか横糸の問題を考へるとかなづかひはこちらの方が正規なんぢゃないか、とも思ったりするわけです。
ただ、歴史的仮名遣ひ派の人は小文字の「っゃゅょゎ」は大文字で記しますが、私はそれは反対なんです。文字がなかったから、大文字を使ってゐただけであって、今はその表記があるから、それを使へば良いだけのことだらうと思ひます。

あと、かなづかひは「発音記号」ではない、ともつけたしておきます。私見を述べると、私は「ハ行」をもう一つ作れば良いだけのことではないか、とも思ふのですが(濁点みたいなものを作るとか、小文字にするとか)。

要は見慣れてゐるかさうでないか、といふ問題だとも思ひます。昭和二十年代までの人はこれに不服を唱へなかったし、川端康成や太宰治・志賀直哉や三島由紀夫はこれで通してゐたわけですし。坂口安吾の本にも、さうなってゐるものもあります(昭和三十年代くらゐの刊行の、新潮社の全集本です)。武者小路実篤は「現代仮名遣い」になってましたが。

でも、少し問題なら、考へようと思ひます。生徒とかの中には「勉強」といふ行為そのものを嫌ふ子もゐますし、「ディスレクシア」といふのも知ってゐます。
自分としても、ちょっとこのコメント欄を使って「実験」をしてゐただけなので(自分のPCの単語登録がかういふふうになってゐるのですが)、仕方がない、とも思ひます。苦情が来たら、かへるつもりでした。
政治家の揶揄にも用ゐてゐましたから。

この話題、とても興味があるので(日本の戦後史とか教育史いふ問題ともとても関係があるので)、つい長くなってしまふんですが、 「道場」直前にくだらない駄文をすみません円でした。

笹さんが古墳に興味があるといふのは初耳でした。非常に楽しい見学だったのだらうと想像します。

それでは、本日の「道場」、期待します。

No.59 81ヶ月前

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