↑↑↑~→*☆ のコメント

今回の記事で思い出しましたのは、初期の『ゴー宣』での故・西部氏の、
「狂人にも一抹の価値を与えるためにも、こちとらが正気であらねばならない。(←うろ覚え)」。

今回の両記事には、「社会の狭量化」「多様性に対する不寛容」という通奏低音が鳴っているようで。
世の中に様々な人間がいるのは、[環境・社会の複雑多様化に対応するため]と、
そして[アウフヘーベンによる更なる発展の可能性の出現のため]。
これは生存のための本能、自然の摂理だと私は考えます。
例えば、同じメバルという魚でも、食性や行動パターンが異なるやつが色々いるのは、
全部同じだとあっという間にその種が絶滅するからだといいます。
ソ連等、全体主義で窮屈な社会にしたあげく、活力を失って失敗した例を我々は知っているにもかかわらず、
なぜ今、世の中はわざわざそういう方向に向かおうとしているのか?
価値観・世界観の画一化、議論の否定、それは共同体の退廃、衰退、崩壊、破滅、滅亡へと繋がっていくのに…。
それが人間というものなのでしょうか?(生きている以上は堕落するという)

という訳で、ゴー宣道場、立憲的改憲議論の重要性ということになるわけですが、
『ゴー宣〈憲法〉道場』、これは今後の改憲論議において、素晴らしいテキストになりそうです(^^)。
ただ、タイミングが・・・・・・、次の道場までしっかり研究する時間が厳しー!\(◎ロ\=/ロ◎)/(もう明日だぜ!)。
2月3月の道場を、文字起こしで見ますと、印象がまた違うように思いまして、
新たな発見と言うか・・・気づきと言うか・・・「俺、分かってなかっわ」というところが結構、、、(汗顔の至り!(Ψ□Ψ;))。
それとともに、疑問に思う、質問してみたい、こういうのはどうでしょうか?みたいなことがまた色々沸いてきました。
答えて頂ける自信は……正直そんなにないのですが、まあ一生懸命やらさせて頂きましょう(^^)ゞ!

ということで、ささやかながら、『ゴー宣〈憲法〉道場』の賛歌、及びゴー宣道場の応援・盛り上げを、僭越ながらさせて頂きました。
配信お疲れさまでした。

No.37 79ヶ月前

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