magome のコメント

小林師範、号外の配信をわざわざありがとうございます。

今回の記事を読んで、実際には原発を推進した方々も義務が違っていれば臣民のために有益な仕事をすることができた立派な人々でもあったという現実を改めて知ることができたと考えるようになりました。原発を推進した方々の責任は当然、許されることではありませんが、犠牲になった方々のこと、また、これからも増えていくのであろう犠牲者の方々のことを想えば、誰かが自らを公に晒して責任を追いながら、原発を推進した責任者を「悪」として被弾しなければならないことに、どれほど重い責務があるのか、改めて思い知ることとなりました。これは匿名でネット上の評論家の文章を引用するだけの無責任はネトウヨ、ネトゴミとは次元が全く違うものであるとやっと、はっきりと認識できたと思います。

それと同時に、原発の推進はネトウヨ、ネトゴミも含めて、科学技術の情報に向けて、我々臣民が臣民の福利・利便を推進することに重点を置きすぎて、庶民を災害から守ること、また、庶民を科学・技術による危害から守る事に対しての認識が薄すぎたのではないのかと考えました。もちろん、これは人が心情からして想い詰まった状況に陥ったからなのだと思いますし、最終的には人間性が原発事故を招いたのだと思います。

また、原発が技術競争でとっくに負けているにもかかわらず、原発事故が発生するまで稼働されていたのは政治に強力な団体(経団連や東京電力など)が介入しすぎてしまったからなのだと思います。歴史上、民主主義か否か問わず、強力な団体が政治に介入した結果、良い結果をもたらしませんでした。宗教が政治に介入した結果、30年戦争が起こり、欧州が荒廃しましたし、現在でも米国は政治に大企業が介入し、アフガン戦争、イラク戦争など、政治からしてろくな結果を出していません。民主主義を庶民の意志が叶う健全な政治にするには政教分離ではなく、組合や経団連などを完全に排除する団体分離が必要となってくるのではないのでしょうか?しかしながら、これは共産主義と同じく、理想であって、人間が人間である以上、実践は不可能なのでしょうか?と思うようになりましたが、いかがでしょうか?

民主主義は本来、団体ではなく、個人個人の意思が団体などの力を抜きにして政治に反映されなければならないと思います。

No.57 142ヶ月前

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