よしりん師範、木蘭師範、時浦師範代、みなぼん編集長、スタッフの皆様、多忙なスケジュールの中での配信ありがとうございます。出版業界総崩れと言われる昨今だからこそ週刊誌の体裁を保つことに意義がある思われますが、皆様のお体のほうが大事だと考えます。数日遅れてもきっと誰も文句は言いません。 今回のゴー宣も神級だと思います。欧米型の「自由」「平等」「民主」と、日本型の「自由」「平等」「民主」をその成り立ちの違いから説き起こし、保守を名乗るなら何を守るべきかをとても判りやすく解説していただきました。ありがとうございます。『大東亜論』を拝読して明治期の政党政治の初めから理念のある政党はなかったと思い知りましたので、自由民主党が左翼内ゲバ党でも全然驚かない感覚になっていますが、日本型の自由と民主を体現する政党に生まれ変わることは今の自暴党にも社迷党にも期待できないなと暗澹たる気分です。 さて、前近代の西洋では国王や貴族が私の利益のために領民を私有する体制を敷いており、それを革命で打倒しなければ自由も民主・平等も得られない状態だったのに対して、日本ではすでに神話から国の成り立ちの時代に天皇へと繋がる血統のカミが「統治者は領民をウシハクものではない、シラスものだ」として豪族領主に国譲りさせてできた国です。そのカミの末裔である天皇は公のため、民の幸せのために祈りつつ政務を執ってこられました。公地公民(自由)・一君万民(平等)、「和をもって貴しとなす」(民主)などが政治体制や社会思想として形になったのは飛鳥期ですが、その精神は遙か縄文~弥生期から胚胎していたはずであり、近代以降やっと自由・平等・民主に目覚めた西洋諸国とは全く年季の入り方が違うと言えます。 しかし、悲しいかな日本人は海の向こうに何かもっと良いものがあるに違いないと構える島国根性でこれまでやって来たため、外来の思想や文化を取り込めばそれまで自分たちが持っていた、実はもっと優れているかもしれない類似の思想・文化に不自然な接ぎ木をしたり、あるいはその優れたものを完全に捨て去ったりという習性があるように思います。それでも奈良期以前に大陸から取り込んだ思想・文化は遣唐使廃止以後の平安中期から咀嚼し、換骨奪胎・日本化し、室町期までに取り込んだ大陸や南蛮の思想・文化も鎖国政策を採った江戸期に日本化できました。一度取り込んでも受容するものと排除すべきモノを「アッそう」と選別してきたわけです。しかし幕末~明治期に砲艦外交で国を開かされて以来、大東亜戦後の占領統治・東京裁判、さらに度重なる構造改革と日本の国柄を破壊する政治的圧力を伴った思想・文化の波が、咀嚼して日本化する暇もない程続けさまに打ち寄せています。外来思想の合成体としての鵺政党をのさばらせた原因はここにあると思います。もう一度ここらで外部からの影響を遮断して深化させる時期が必要だと思うのです。 幸せの青い鳥は坂の上の雲のさらに上には決しておらず、自分たちの暮らしていた坂の下の大地で一生懸命鳴いていたのです。早く気付いてくれと。外国からの波を防いで日本的な自由・平等・民主を体現する大小の共同体が息を吹き返したとき、共同体の皆が坂の下で共同作業することに生きがい(実存)を感じるという瑞穂の国も復活すると思います。また現代日本にあっては核の議論(核武装に至らない原発維持が目的化してしまっている)をするより鎖国の議論(貿易制限と食料・エネルギーの自給、通常兵器での自主防衛、脱原発関連事業の公共投資など)をするほうが外国に与えるインパクトは絶大だと思います。日本に鎖国されて困った国々に請われてお出ましになる天照大御神の象徴は当然皇太子になられた愛子様です。今、安倍自暴党政権が希望の灯を一つ一つ消しているという気がします…。 カミも人も古代までは一目見て恋に落ちる「めまぐわい」の国であった日本なら、下手な西欧恋愛至上主義を接ぎ木して感情より勘定になってしまうようなロマンスの神様を信仰するより、お見合いでもして第一印象の勘に頼るほうが日本の国柄に近いかもしれません。 そうかー。ほとを突いて死ぬなんて不自然だと思ってたんですよね。スッキリしました(笑)。これだけ最低まで落とされたアマテラスとスサノオのここからの立ち直りの物語が俄然楽しみになりました。 日本の国柄に合わないモノは「アッそう」と排斥したい na85
チャンネルに入会
フォロー
小林よしのりチャンネル
(ID:16221355)
よしりん師範、木蘭師範、時浦師範代、みなぼん編集長、スタッフの皆様、多忙なスケジュールの中での配信ありがとうございます。出版業界総崩れと言われる昨今だからこそ週刊誌の体裁を保つことに意義がある思われますが、皆様のお体のほうが大事だと考えます。数日遅れてもきっと誰も文句は言いません。
今回のゴー宣も神級だと思います。欧米型の「自由」「平等」「民主」と、日本型の「自由」「平等」「民主」をその成り立ちの違いから説き起こし、保守を名乗るなら何を守るべきかをとても判りやすく解説していただきました。ありがとうございます。『大東亜論』を拝読して明治期の政党政治の初めから理念のある政党はなかったと思い知りましたので、自由民主党が左翼内ゲバ党でも全然驚かない感覚になっていますが、日本型の自由と民主を体現する政党に生まれ変わることは今の自暴党にも社迷党にも期待できないなと暗澹たる気分です。
さて、前近代の西洋では国王や貴族が私の利益のために領民を私有する体制を敷いており、それを革命で打倒しなければ自由も民主・平等も得られない状態だったのに対して、日本ではすでに神話から国の成り立ちの時代に天皇へと繋がる血統のカミが「統治者は領民をウシハクものではない、シラスものだ」として豪族領主に国譲りさせてできた国です。そのカミの末裔である天皇は公のため、民の幸せのために祈りつつ政務を執ってこられました。公地公民(自由)・一君万民(平等)、「和をもって貴しとなす」(民主)などが政治体制や社会思想として形になったのは飛鳥期ですが、その精神は遙か縄文~弥生期から胚胎していたはずであり、近代以降やっと自由・平等・民主に目覚めた西洋諸国とは全く年季の入り方が違うと言えます。
しかし、悲しいかな日本人は海の向こうに何かもっと良いものがあるに違いないと構える島国根性でこれまでやって来たため、外来の思想や文化を取り込めばそれまで自分たちが持っていた、実はもっと優れているかもしれない類似の思想・文化に不自然な接ぎ木をしたり、あるいはその優れたものを完全に捨て去ったりという習性があるように思います。それでも奈良期以前に大陸から取り込んだ思想・文化は遣唐使廃止以後の平安中期から咀嚼し、換骨奪胎・日本化し、室町期までに取り込んだ大陸や南蛮の思想・文化も鎖国政策を採った江戸期に日本化できました。一度取り込んでも受容するものと排除すべきモノを「アッそう」と選別してきたわけです。しかし幕末~明治期に砲艦外交で国を開かされて以来、大東亜戦後の占領統治・東京裁判、さらに度重なる構造改革と日本の国柄を破壊する政治的圧力を伴った思想・文化の波が、咀嚼して日本化する暇もない程続けさまに打ち寄せています。外来思想の合成体としての鵺政党をのさばらせた原因はここにあると思います。もう一度ここらで外部からの影響を遮断して深化させる時期が必要だと思うのです。
幸せの青い鳥は坂の上の雲のさらに上には決しておらず、自分たちの暮らしていた坂の下の大地で一生懸命鳴いていたのです。早く気付いてくれと。外国からの波を防いで日本的な自由・平等・民主を体現する大小の共同体が息を吹き返したとき、共同体の皆が坂の下で共同作業することに生きがい(実存)を感じるという瑞穂の国も復活すると思います。また現代日本にあっては核の議論(核武装に至らない原発維持が目的化してしまっている)をするより鎖国の議論(貿易制限と食料・エネルギーの自給、通常兵器での自主防衛、脱原発関連事業の公共投資など)をするほうが外国に与えるインパクトは絶大だと思います。日本に鎖国されて困った国々に請われてお出ましになる天照大御神の象徴は当然皇太子になられた愛子様です。今、安倍自暴党政権が希望の灯を一つ一つ消しているという気がします…。
カミも人も古代までは一目見て恋に落ちる「めまぐわい」の国であった日本なら、下手な西欧恋愛至上主義を接ぎ木して感情より勘定になってしまうようなロマンスの神様を信仰するより、お見合いでもして第一印象の勘に頼るほうが日本の国柄に近いかもしれません。
そうかー。ほとを突いて死ぬなんて不自然だと思ってたんですよね。スッキリしました(笑)。これだけ最低まで落とされたアマテラスとスサノオのここからの立ち直りの物語が俄然楽しみになりました。
日本の国柄に合わないモノは「アッそう」と排斥したい na85