先日UPされた倉持師範のブログを読みました。 いつも通り、無学な私には殆どが???だったのですが、そんな私が「おっ!」と思った箇所がありました。 >改憲の議論として憲法24条と性の多様性に向き合うべきだといった点において、非常に立憲的改憲にも有益なアドバイスがもらえそうだ 私は同性婚と選択的夫婦別姓を法制化してほしい、するべきではないかと考えるひとりですが、 同性婚を認めないのは違憲なのか否か、 民法の夫婦同姓規定は違憲なのか否か(最高裁では合憲の判決がくだされたようですが、裁判官の1/3は違憲の判断だったとのこと)、 専門家でも意見が分かれると聞きます。 私の娘が通う中学校では、道徳の時間を使いLGBTを学び、理解を深めるというカリキュラムがあり、LGBTの方に講師として来ていただくこともあるようです。人間には27種類のセクシャリティがあるということを、私は娘から教えてもらいました。 まだ少しだけですが、社会科の授業では憲法についても学び、また、結婚は、サッカー選手になりたいとか役者になりたいなどという夢とか願望とは違う、人生において基本となる営みのひとつに至る選択ということがわかりつつある彼女の世代から、 日本で同性婚が認められていないのはなぜか、 セクシャリティという理由で結婚したい人と結婚できない人がいるのはなぜか、 などという質問を受けたとき、この国の大人はどう答えるのか。 そもそも、愛する我が子がLGBTだとしたら、そうでない人が当たり前に享受している人生の選択ができない、認められないという現実に、私は耐えられそうもありません。 21世紀生まれの娘と違い、私が学生のときはLGBTについて学んだり理解を深める機会はまずありませんでしたが、ではその時代にLGBTはいなかったのかといえばもちろん違います。むかし少なかったものが最近になって増えたということでもありません。 今号のライジングゴー宣では、米アカデミー賞や、その受賞作品やノミネート作品について触れられましたが、その中の「スリービルボード」は凄惨な未解決事件をベースにしながらも、ウィットに富み、ダークなユーモア溢れる素晴らしい作品です。そこには人種差別やジェンダーの問題などいくつもの要素が盛り込まれており、セクシャリティも重要となっているそのひとつでした。 まさに「今」がたくさん詰まった作品なわけですが、その「今」とは旬な話題などということではなく、今はもちろん、これまでもずっと人間の中に、社会のあちこちにあったものが、「今」という形を使い描かれていたと言えるのではないでしょうか。 人間の内なるものは、いつの時代であってもそう変わるものでも、違うものでもないと思いますが(だから何百年も前に書かれた文学がいつまでも人々に読まれるのでしょう)、それぞれ内的に抱える人間を取り巻く社会の形や、そのありようは時代時代で大きく違います。いつの時代でも(本来であれば)多様性があるもの、社会の変化によって多様化されたものもあるでしょう。 ご紹介いただいた、次回道場のゲストの山元一先生という方は、フランス憲法のご専門家でもあられるとのこと。私はフランスの文化、社会にしばしば注目していることもあり、俄然楽しみになりました。応募させていただきたいと思います。
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先日UPされた倉持師範のブログを読みました。
いつも通り、無学な私には殆どが???だったのですが、そんな私が「おっ!」と思った箇所がありました。
>改憲の議論として憲法24条と性の多様性に向き合うべきだといった点において、非常に立憲的改憲にも有益なアドバイスがもらえそうだ
私は同性婚と選択的夫婦別姓を法制化してほしい、するべきではないかと考えるひとりですが、
同性婚を認めないのは違憲なのか否か、
民法の夫婦同姓規定は違憲なのか否か(最高裁では合憲の判決がくだされたようですが、裁判官の1/3は違憲の判断だったとのこと)、
専門家でも意見が分かれると聞きます。
私の娘が通う中学校では、道徳の時間を使いLGBTを学び、理解を深めるというカリキュラムがあり、LGBTの方に講師として来ていただくこともあるようです。人間には27種類のセクシャリティがあるということを、私は娘から教えてもらいました。
まだ少しだけですが、社会科の授業では憲法についても学び、また、結婚は、サッカー選手になりたいとか役者になりたいなどという夢とか願望とは違う、人生において基本となる営みのひとつに至る選択ということがわかりつつある彼女の世代から、
日本で同性婚が認められていないのはなぜか、
セクシャリティという理由で結婚したい人と結婚できない人がいるのはなぜか、
などという質問を受けたとき、この国の大人はどう答えるのか。
そもそも、愛する我が子がLGBTだとしたら、そうでない人が当たり前に享受している人生の選択ができない、認められないという現実に、私は耐えられそうもありません。
21世紀生まれの娘と違い、私が学生のときはLGBTについて学んだり理解を深める機会はまずありませんでしたが、ではその時代にLGBTはいなかったのかといえばもちろん違います。むかし少なかったものが最近になって増えたということでもありません。
今号のライジングゴー宣では、米アカデミー賞や、その受賞作品やノミネート作品について触れられましたが、その中の「スリービルボード」は凄惨な未解決事件をベースにしながらも、ウィットに富み、ダークなユーモア溢れる素晴らしい作品です。そこには人種差別やジェンダーの問題などいくつもの要素が盛り込まれており、セクシャリティも重要となっているそのひとつでした。
まさに「今」がたくさん詰まった作品なわけですが、その「今」とは旬な話題などということではなく、今はもちろん、これまでもずっと人間の中に、社会のあちこちにあったものが、「今」という形を使い描かれていたと言えるのではないでしょうか。
人間の内なるものは、いつの時代であってもそう変わるものでも、違うものでもないと思いますが(だから何百年も前に書かれた文学がいつまでも人々に読まれるのでしょう)、それぞれ内的に抱える人間を取り巻く社会の形や、そのありようは時代時代で大きく違います。いつの時代でも(本来であれば)多様性があるもの、社会の変化によって多様化されたものもあるでしょう。
ご紹介いただいた、次回道場のゲストの山元一先生という方は、フランス憲法のご専門家でもあられるとのこと。私はフランスの文化、社会にしばしば注目していることもあり、俄然楽しみになりました。応募させていただきたいと思います。