希蝶 のコメント

泉美木蘭のトンデモ見聞録・第71回「国語のこと」
私は逆に「言葉」にとらはれてしまふ方で、「なぜ言葉には、言った通りの意味以上のことが含まれてしまふのだらうか」とか、「なぜ曲解や拡大解釈があるのだらう」といふふうにとらへがちです。それは当たり前で、同じ言葉でも、言ってゐる人によって、こめる気持ちや意味あひがかはってしまふし、それを受け取る側も、自身の経験や想像力の中でしか判断できないからでせう。

昔、山田邦子のやってゐた番組に、「恋愛裁判」といふコーナーがあって、その中で印象にのこってゐる話があります。確か、女の人が外國への転任辞令が出されて、附きあってゐる恋人に、帰国するまで結婚を待って欲しい、といふふうにつたへるのですが、相手はそれを体のよい振り方だと勘違ひしてしまった、といふ話でした。私は、後悔のないやうに、夢も恋も両方求めるその人の生き方がなぜ贅沢にあたってしまふのだらう、3年(だったと思ふ)待って欲しいといふ言葉に、相手の男がどうしてそのやうに不思議な解釈を与へてしまふのだらう、と当時思ひました。

その答へは、先にあげた通り、「人間はそれぞれ異なるから」としか言ひやうがない気がします。さう思ふと、言葉はむなしい、テレパシーでもあれば、といふ(子供じみた、幼稚な)気分になります(それはそれで、嘘がつけなくて地獄だらうけれども)。
思ふに、人はその人の言ふことだけではなく、挙動やくせ、仕草のやうなものまで観察してゐるのでせう。だから、いつかのQ&Aではありませんが、服装や態度で、外見での評価も大事になってしまふのだけれども、言はれてゐる方は、それに気づいてゐない場合も多々だらうとも想像します。

それでも、かうして文章にしてみないと、伝へることすらできないので、こんな投稿をしてゐます。ただし、ほかの人もこのライジングをよんでゐるので、いくら恥をかくのも覚悟してゐる、と言っても、節度は持たないといけない、と頭をフル回転させてはゐます。私は口で誤解のないやうに、意思を通じあへる世界があれば良いのではないか、考へることと感じることが同じなら良い、と夢みたいなことを思ったりします。確実に不可能なのですが(米朝会談の必要がなくなるのかも)。
人は腹のさぐりあひ、みたいな形で、不完全な状態で、相手とコミュニケーションするしかないのではないか、築くのが大変なのが信頼関係で、その事実に気づくのもまた苦行、苦痛なのではないか、と。

それでは、次号を期待します。

No.176 82ヶ月前

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