希蝶 のコメント

 「道場」、お疲れ様でした。あとでじっくり見ます。
 今号の感想です。

ゴーマニズム宣言・第262回「ギャグに差別はつきものである」
 正直、何だか世の中にはいひがかりをつける人たちが多いのだな、とこの前の木蘭さんの件を見てゐても感じます。お笑ひは人を笑はせてなんぼのもので、わらひを周囲に拡散させて、みんなに幸福感や癒やしを味あはせるものなのだから、「笑」とか「嗤」みたいな中國語、支那語みたいな違ひを云々言ったって仕方ないぢゃないですか。中島といふ人の記事はその日のうちによんだんですが、つまらないことをあげつらってゐるな、と思ひました。
 石橋の保毛尾田保毛男も面白いと思ひます。それに、先生の漫画だって、言はれなければ何が行はれてゐるか、分からないと思ふし、分かったとしても、「をかしい」です。これをレイプだとか言ふ人は、ギャグを感じ取れない、残念な人だと思ひます。
 赤塚不二雄先生の漫画なども、ダメになってしまひますよね。
 しかし、私が笑へないと思ふのは、たとへば、「お前がかういふ阿呆なことを幇間としてやってくれたら、まはりが和むから、その役をやってくれ」と頼むやうなことは、本人が諒承しない限り、駄目だと思ひます。そんな強制的なことは許されてはならない、と思ひます。さういふことをさせられた人から話を聞いてゐるので。
 つまり、そこには確実にその人への悪意が存在してゐます。さうでない場合もあるのだらうけれども、誰がどういふ目的で言ったのか、させようとしてゐるのか、そのことも考へ合はせないといけない、とは言へると思ひます。ベッキーが蹴られた、といふ話と同じことだらうと。ベッキーさんのこころの傷をまるで考へてゐない。本人が納得して、頼んだことなのでせうか。
 私は差別とは、言葉や行為ではなく、それをする人の心の中に潜在するものだ、と感じます。
 それでも、少しだけ具体的なことを言ふと、真珠にされたドラえもんを、のび太がどうやって元に戻したのか、みたいなことは気になります。さういふ話は作者に作って欲しいとは思ひます。
 でも、それは笑ひの本質とはあんまり関係ないのかも知れないです。以上です。

No.125 83ヶ月前

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