ただ一つ言えるのは、何が美か醜か分かった上で「醜」のリアリズムを取るなら、それは美への回路を塞ぐものではないということです。そこには罪の意識が芽生える。人は、罪びとで在り続けることに耐えられない。いずれ、その罪の清算を希求する。本当に醜悪な人は、美醜の概念が狂っている。故に、罪の意識を感じずに済む。「こころ」で言うのならば、Kを自死させた先生にはまっとうな美感があった。あってしかるべきとしたのが明治人漱石で、この作品はもう、現代人のこころには響かないのかもしれません。醜くて何が悪い、そういう開き直りの上に、現代があるからです。そして、実現すべき理想的状態である「美」を失った現代は、ただ今ある現実を肯定することしかできなくなった。それが現代社会の閉塞感を生み出し続けているような気がします。
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小林よしのりチャンネル
(ID:19522841)
ただ一つ言えるのは、何が美か醜か分かった上で「醜」のリアリズムを取るなら、それは美への回路を塞ぐものではないということです。そこには罪の意識が芽生える。人は、罪びとで在り続けることに耐えられない。いずれ、その罪の清算を希求する。本当に醜悪な人は、美醜の概念が狂っている。故に、罪の意識を感じずに済む。「こころ」で言うのならば、Kを自死させた先生にはまっとうな美感があった。あってしかるべきとしたのが明治人漱石で、この作品はもう、現代人のこころには響かないのかもしれません。醜くて何が悪い、そういう開き直りの上に、現代があるからです。そして、実現すべき理想的状態である「美」を失った現代は、ただ今ある現実を肯定することしかできなくなった。それが現代社会の閉塞感を生み出し続けているような気がします。