今週も配信お疲れ様です! ありがとうございます。 「トンデモ見聞録」読みました。 新聞や雑誌の売り上げが落ちる一方で、ネット広告産業がテレビに迫る勢いで伸びている、という記事は大変興味深いものです。 ネット民はマスコミを悪者にしたがりますが、そのネット民が拠り所にしているネット自体が、自分達が叩いている筈のマスコミと同じような影響力を持っていること、 かつて社会評論家の大宅壮一氏がテレビメディアの席巻と、それを受け入れる視聴者の様を「一億総白痴化」と称しましたが、 ネットの普及もまさに「一億総白痴化」と言えるのかなと思いました。 しかし、広告と企業の関係において、ネットはテレビやラジオのような規制力を持っているとは言い難いこと、 アクセス数至上主義は、排外主義や、単なる「反左翼」でしかない劣化右翼の温床になっている、ということはもっと警鐘を鳴らされるべきことですね。 勿論、ネット左翼というのもいますが、ネット全体、いや現在の社会全体として見ても、劣化右派思想、現体制への媚態が蔓延している傾向が強いと感じます。 しかし、ネットで欲しいものを検索すると、ありとあらゆるものがしばらくそれ関連になってしまうことは確かにうざったいですね(汗)。 Amazonなどの買い物でもそうですし、最近twitterを始めましたが、その時に出てくる「おススメユーザー」みたいなのもうざいです(汗)。 あと、愛国ヘイト活動家に普通の主婦が結構いる、というのは、何となく頷けるものがあります。 「愛国ヘイト活動家」までには至りませんが、ネトウヨ的思考の主婦が身近にいるからです。(私は独身ですので、私の配偶者ではありません) そして、2ちゃんねるのまとめサイトは「保守速報」に限らず、たぶん一部を除いてほとんどのまとめサイトがネトウヨ系、あるいはネトウヨ系の記事を頻繁に扱っていると思います。 私は過去に何度かそういうまとめサイトを、つい見てしまいました。 今はもう、全く見たくないのでシャットアウトしていますが、ネットをやっていると、そういうサイトを情報源にしている人とどうしても遭遇してしまいますね(汗)。 基本的にネットでのやり取りは副次的なものとして、知り合いとは何かあれば実際に会って話すか、電話でやりとりするようにしているのですが、 なかなか都合で会えない人とネットでやり取りしていると「ああ、この人もいつの間にかネトウヨに・・・」ということはあります(汗)。 「自分の好きなもの、欲しいものの広告に囲まれて、気分の良くなるヘイトに満ちた極右サイトを見て過ごす」ということは、本当に末期ですね。 広告代理店への規制については、泉美先生が提案されていることに自分も賛同したいです。 ネットの急速な普及に追いつかず、基本であるネットリテラシーに始まって、いろいろと後手後手になっていってしまっていますが、 何らかの手を打たないと、どんどん手遅れになっていくと思います。 しかし、うどんが無性に食べたくなる泉美先生の論評でした(笑)。 「ゴー宣」読みました。 ウーマン村本が無知なことは本当によく分かりますが、それを持ち上げている学者が「ソクラテス」の「無知の知」について知らない程のバカだったとは・・・。 「不知の自覚」という訳の方が、内容的には確かに合っていますね。 ソクラテスの覚悟の最期を想うと、村本をソクラテスに準えた宮台真司も、持ち上げられて舞い上がっている村本も、実に罪深いバカだと言わざるを得ません。 宮台真司が村本を持ち上げてしまったが故に、物凄い自己矛盾に陥っていることを暴かれてしまいましたが、 「主権回復・日米同盟解消・重武装中立化」には賛同したいところもありますので、 まずは学者という立場でありながらの不勉強を恥じて欲しいですね。 左の無知だろうと右の無知だろうと、真理を探究するための研鑽努力を積み重ねることを放棄した無知、思考停止した無知は、ただのバカです。 自分が何も知らない、ということを謙虚に認めて、そこから少しでも学んでいかなければ始まりません。 ましてや、ソクラテスのような覚悟を持つには、どれだけの研鑽努力と厳しさが必要なのか。 先日亡くなった西部邁氏も、ウーマン村本と対談していたようで、 私はそのことは全く知らずに、ついこの間対談記事を読んだのですが、 西部氏の言は、実に西部氏らしかったと感じました。 そして、叢叡世さんの質問への回答として小林先生が言われていたことが、実に腑に落ちます。 西部氏の死は覚悟の上での自死であり、最後の保守本流の知識人としての純粋なまでもの意志を見た、という思いに、 平凡ないち読者に過ぎない自分もなりましたが、 出来れば自分の憧れた人が自死によって生涯を閉じることは、辛すぎるのでたまらない、生きていて欲しい、筆を折って表現者からいち個人に戻っても、という思いもあり、 実に複雑な感情があります。 西部氏の時とは事情も全く異なりますが、フォーク・クルセイダーズの加藤和彦氏が自ら命を絶った時も、 私は加藤氏の音楽が好きだったので、とても複雑な思いになりました。 しかし、西部氏が選んだ最期を非難するような気持ちにはなれません。時浦さんが紹介された門弟さんのメーリングリストでの言葉を読んで、 一層、何とも言えない感慨がこみ上げてきました。
チャンネルに入会
フォロー
小林よしのりチャンネル
(ID:13120218)
今週も配信お疲れ様です!
ありがとうございます。
「トンデモ見聞録」読みました。
新聞や雑誌の売り上げが落ちる一方で、ネット広告産業がテレビに迫る勢いで伸びている、という記事は大変興味深いものです。
ネット民はマスコミを悪者にしたがりますが、そのネット民が拠り所にしているネット自体が、自分達が叩いている筈のマスコミと同じような影響力を持っていること、
かつて社会評論家の大宅壮一氏がテレビメディアの席巻と、それを受け入れる視聴者の様を「一億総白痴化」と称しましたが、
ネットの普及もまさに「一億総白痴化」と言えるのかなと思いました。
しかし、広告と企業の関係において、ネットはテレビやラジオのような規制力を持っているとは言い難いこと、
アクセス数至上主義は、排外主義や、単なる「反左翼」でしかない劣化右翼の温床になっている、ということはもっと警鐘を鳴らされるべきことですね。
勿論、ネット左翼というのもいますが、ネット全体、いや現在の社会全体として見ても、劣化右派思想、現体制への媚態が蔓延している傾向が強いと感じます。
しかし、ネットで欲しいものを検索すると、ありとあらゆるものがしばらくそれ関連になってしまうことは確かにうざったいですね(汗)。
Amazonなどの買い物でもそうですし、最近twitterを始めましたが、その時に出てくる「おススメユーザー」みたいなのもうざいです(汗)。
あと、愛国ヘイト活動家に普通の主婦が結構いる、というのは、何となく頷けるものがあります。
「愛国ヘイト活動家」までには至りませんが、ネトウヨ的思考の主婦が身近にいるからです。(私は独身ですので、私の配偶者ではありません)
そして、2ちゃんねるのまとめサイトは「保守速報」に限らず、たぶん一部を除いてほとんどのまとめサイトがネトウヨ系、あるいはネトウヨ系の記事を頻繁に扱っていると思います。
私は過去に何度かそういうまとめサイトを、つい見てしまいました。
今はもう、全く見たくないのでシャットアウトしていますが、ネットをやっていると、そういうサイトを情報源にしている人とどうしても遭遇してしまいますね(汗)。
基本的にネットでのやり取りは副次的なものとして、知り合いとは何かあれば実際に会って話すか、電話でやりとりするようにしているのですが、
なかなか都合で会えない人とネットでやり取りしていると「ああ、この人もいつの間にかネトウヨに・・・」ということはあります(汗)。
「自分の好きなもの、欲しいものの広告に囲まれて、気分の良くなるヘイトに満ちた極右サイトを見て過ごす」ということは、本当に末期ですね。
広告代理店への規制については、泉美先生が提案されていることに自分も賛同したいです。
ネットの急速な普及に追いつかず、基本であるネットリテラシーに始まって、いろいろと後手後手になっていってしまっていますが、
何らかの手を打たないと、どんどん手遅れになっていくと思います。
しかし、うどんが無性に食べたくなる泉美先生の論評でした(笑)。
「ゴー宣」読みました。
ウーマン村本が無知なことは本当によく分かりますが、それを持ち上げている学者が「ソクラテス」の「無知の知」について知らない程のバカだったとは・・・。
「不知の自覚」という訳の方が、内容的には確かに合っていますね。
ソクラテスの覚悟の最期を想うと、村本をソクラテスに準えた宮台真司も、持ち上げられて舞い上がっている村本も、実に罪深いバカだと言わざるを得ません。
宮台真司が村本を持ち上げてしまったが故に、物凄い自己矛盾に陥っていることを暴かれてしまいましたが、
「主権回復・日米同盟解消・重武装中立化」には賛同したいところもありますので、
まずは学者という立場でありながらの不勉強を恥じて欲しいですね。
左の無知だろうと右の無知だろうと、真理を探究するための研鑽努力を積み重ねることを放棄した無知、思考停止した無知は、ただのバカです。
自分が何も知らない、ということを謙虚に認めて、そこから少しでも学んでいかなければ始まりません。
ましてや、ソクラテスのような覚悟を持つには、どれだけの研鑽努力と厳しさが必要なのか。
先日亡くなった西部邁氏も、ウーマン村本と対談していたようで、
私はそのことは全く知らずに、ついこの間対談記事を読んだのですが、
西部氏の言は、実に西部氏らしかったと感じました。
そして、叢叡世さんの質問への回答として小林先生が言われていたことが、実に腑に落ちます。
西部氏の死は覚悟の上での自死であり、最後の保守本流の知識人としての純粋なまでもの意志を見た、という思いに、
平凡ないち読者に過ぎない自分もなりましたが、
出来れば自分の憧れた人が自死によって生涯を閉じることは、辛すぎるのでたまらない、生きていて欲しい、筆を折って表現者からいち個人に戻っても、という思いもあり、
実に複雑な感情があります。
西部氏の時とは事情も全く異なりますが、フォーク・クルセイダーズの加藤和彦氏が自ら命を絶った時も、
私は加藤氏の音楽が好きだったので、とても複雑な思いになりました。
しかし、西部氏が選んだ最期を非難するような気持ちにはなれません。時浦さんが紹介された門弟さんのメーリングリストでの言葉を読んで、
一層、何とも言えない感慨がこみ上げてきました。