ゴーマニズム宣言・第261回「宮台真司、『無知の知』の無知」 私も、宮台といふ人は阿呆だと感じました。それこそ、ピュアとイノセントの問題ではないのか、と。 ピュアであったとしても、トマス・ハーディの「テス」みたいな例もあります。主人公のテスは男の危険性を知らずに犯され、私生児を産んでしまひますが、母親に「なぜ男の人は危ない、と教へてくれなかったの!?」とやつあたりをして叫びます。(何だか詩織さん事件と重なってきましたが)だとしてもこの場合は、無知が得だったとは言へない、と思ひます。 勿論、テスを犯した、貴族の名をかたった野郎は、言語道断なんですが。 あと、前にあげた、星逢ひろさんの漫画の例は、ピュアなんだと思ひます。ここでエッチ漫画を取り上げるのは、よくないのかもしれないのですが(差別ではなく、さういふ場ではないのかもしれない、けれども良い例だとも思ふので)。 もっと言ふのならば、これも以前に申したことですが、何の準備もなしに、ただ好きな異性に気持ちを伝へるのはよいことなのか、それは確かに純粋な気持ちかも知れないのだけれども、相手のことをまるで考へてゐない、当って砕けろ、がそんなに良いのか、勇気を出して初めて告白するのが、必ずしも絶贊されることなのか、といふふうに疑念を覚えます。 ひょっとしたら、こんなことを投稿してゐるのも、その一種なのだらうとも。しかし。他人の立場を推し量ることはできても、他人その人にはなりきることはできない。だから、人とのコミュニケーションはむづかしいのだ、と思ひます。 あと、坂口安吾さんは、都市と田舎を比べて、田舎の方が純朴だなんてことはない、むしろ因習と、世渡りと脱税の世界だ、みたいにおっしゃられてゐます。至言だと思ひます。文化は田舎から生まれるのではなく、都市も含めた国全体から生まれるのだ、とも。 テスの話にもどってしまひますが、テスの母親も、その偽貴族に娘が見初められたら、得をするみたいな打算があったからこそ、注意を怠ったとも言へるわけです。 さう思ふと、一見叡智のやうに見えるこざかしさは安楽で、安直で、無駄なく合理的に行動しようとすると必ず選びがちなもので、どれだけ忙しくとも、心に餘裕のある時こそ、人間は創造的で独創的なことができるのではないか、とも思ひました。 「無知の知」とは、そんな人の心のありかたなのではないでせうか。 といふことで、だらだらとくだらないことばかり記しましたが、みなぽんさんの風邪と、笹さんの喘息がはやくよくなることを祈ります。 加へて、次号の配信を期待します。今度の道場が成功することも。
チャンネルに入会
フォロー
小林よしのりチャンネル
(ID:22136524)
ゴーマニズム宣言・第261回「宮台真司、『無知の知』の無知」
私も、宮台といふ人は阿呆だと感じました。それこそ、ピュアとイノセントの問題ではないのか、と。
ピュアであったとしても、トマス・ハーディの「テス」みたいな例もあります。主人公のテスは男の危険性を知らずに犯され、私生児を産んでしまひますが、母親に「なぜ男の人は危ない、と教へてくれなかったの!?」とやつあたりをして叫びます。(何だか詩織さん事件と重なってきましたが)だとしてもこの場合は、無知が得だったとは言へない、と思ひます。
勿論、テスを犯した、貴族の名をかたった野郎は、言語道断なんですが。
あと、前にあげた、星逢ひろさんの漫画の例は、ピュアなんだと思ひます。ここでエッチ漫画を取り上げるのは、よくないのかもしれないのですが(差別ではなく、さういふ場ではないのかもしれない、けれども良い例だとも思ふので)。
もっと言ふのならば、これも以前に申したことですが、何の準備もなしに、ただ好きな異性に気持ちを伝へるのはよいことなのか、それは確かに純粋な気持ちかも知れないのだけれども、相手のことをまるで考へてゐない、当って砕けろ、がそんなに良いのか、勇気を出して初めて告白するのが、必ずしも絶贊されることなのか、といふふうに疑念を覚えます。
ひょっとしたら、こんなことを投稿してゐるのも、その一種なのだらうとも。しかし。他人の立場を推し量ることはできても、他人その人にはなりきることはできない。だから、人とのコミュニケーションはむづかしいのだ、と思ひます。
あと、坂口安吾さんは、都市と田舎を比べて、田舎の方が純朴だなんてことはない、むしろ因習と、世渡りと脱税の世界だ、みたいにおっしゃられてゐます。至言だと思ひます。文化は田舎から生まれるのではなく、都市も含めた国全体から生まれるのだ、とも。
テスの話にもどってしまひますが、テスの母親も、その偽貴族に娘が見初められたら、得をするみたいな打算があったからこそ、注意を怠ったとも言へるわけです。
さう思ふと、一見叡智のやうに見えるこざかしさは安楽で、安直で、無駄なく合理的に行動しようとすると必ず選びがちなもので、どれだけ忙しくとも、心に餘裕のある時こそ、人間は創造的で独創的なことができるのではないか、とも思ひました。
「無知の知」とは、そんな人の心のありかたなのではないでせうか。
といふことで、だらだらとくだらないことばかり記しましたが、みなぽんさんの風邪と、笹さんの喘息がはやくよくなることを祈ります。
加へて、次号の配信を期待します。今度の道場が成功することも。