皿うどんボンバー のコメント

「新・堕落論」、一度読了しただけでも濃いのですが、一度読了しただけでは咀嚼出来ないところ、
何度も読みたくなる味わいぶかいところ、いろいろあって、また最初から読むことの繰り返しです。
一冊で何度も深く味わえる本に出会えたことに感謝です。
ライジングのコメント欄での皆様の感想もまた、良い刺激になります。
戦前~戦後と、当時の権力の検閲と戦っていた、太宰治の意外な一面と、本物の表現者としての気概、
また、表現者としてのナイーブな感受性故に、自ら死を選んでしまった太宰の一面、
表現者、作家という稀有な強烈な個性を持った人物が見てきた、戦前、戦中、戦後と、
当時を生きて来た多くの庶民が見て来た、戦前、戦中、戦後。
敗戦後の人々の心情の吐露である手記はとても心に残ります。
特攻したり、戦死したり、殉難死したりした人達の最期の言葉を知った時以来の想いです。
亡き祖父母も「新・堕落論」で紹介された手記を書いた人達と同世代でした。
「戦争論」シリーズを読んだ時以来、いやたぶんそれ以上に、自分自身の歴史軸の「タテ」の繋がりを改めて意識すると共に、
今現在の自分自身を取り巻く「ヨコ」の繋がりもまた、改めて意識しました。
そして「堕落」という意味に始まり、深く哲学する楽しみもまた味わえます。
「堕ちきるところまで堕ちきれない「弱さ」」というものは、どうしても自覚します、が、
「トカトントン」が頭の中で鳴っても、それでもやはり前に進まなければなりません。
そして、それが実際に自分に出来ているのか、と考えるとまた「トカトントン」が鳴り出しそうですが、
それでも、思考することを停止してしまえば、そこで終わってしまいます。
この感想を書こう、と思っていた時に、友人の訃報の知らせがあり、
しばらく何も考えられず、手につかず、という状況が続きました。
今もまだ辛い想いがずっとずっとあるのですが、
しばらく経ってから、昨年の大晦日の倉持先生のブログを思い出しました。
倉持先生の言葉「彼の分も生きねば。」
私も、彼女の分まで生きねば。と、ここに書くことで、せめてもの気持ちの区切りをつけたいなと。
私事ですみません。
しかし、辛い想いを感じても、倉持先生はきっと今も、山尾議員と共に公の為に奮闘しておられることでしょう。
また、自身の弁護士としての日々に奮闘しておられることでしょう。
私も少しでもそうありたいなと。

No.103 84ヶ月前

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