今週も配信ありがとうございます。 仕事が忙しくて、久しぶりにきちんとした感想が書けます。 ウーマン村本が出演している時の『朝生』は見たことがないので、「こんなバカなことを発言していたのか!」と驚いてしまいました。 ただ、そもそも『朝生』は、何故このような見識の低いお笑い芸人を出演させているのだろう、という疑問の方が先に立ちました。 これで2度目になるのでしたっけ。 出演者のチョイスに、田原総一郎氏の意向は含まれているのでしょうか。 議論に「サヨク平和主義」のポジションが必要だったとしても、さすがにレベルが低すぎるし、何故お笑い芸人を選ぶのか、という疑問が拭えません。 一昔前、よしりん先生も出演された「従軍慰安婦問題」がテーマだった時、デーブ・スペクターが羽織袴で登場して、秦郁彦先生に対して「麻薬でもやってんじゃないの?」と、現在では考えられない罵詈雑言を吐いていましたが、見ていて「この人、慰安婦問題について何を知っているんだ?」と感じたことを思い出します。 知名度があろうとも、バカなド素人を出演させることの無意味さを、番組スタッフには認識していただきたいと思います。 昨年、よしりん先生は「やっかいなのは、実行力のあるバカ」とブログで書かれていましたが、「影響力のあるあるバカ」「知名度のあるバカ」もやっかいですよね。 ただ、コメント欄を拝見していると、ウーマンラッシュアワーの漫才そのものを否定されている方が散見されるのですが、「それは別」と捉えるべきではないでしょうか。 ウーマンの漫才がクローズアップされてきたのは恐らく5~6年前で、村本が早口でまくし立てながら絶対に噛まない、というスタイルは、グルーヴ感があって非常に斬新だと感じていました。 「何を言っているのか分かりづらい」という批判は当時からありましたし、近年は「ファンクラブ」というネタをフォーマットにしてその時々の時事ネタを随時織り込む、というスタンスをやり続けていますが、演芸なのだから「面白い・つまらない」という判断だけでよいのではないか? と思います。 村本に限らず、キングコング西野とかオリラジ中田とか、人間的にどうなんだ? と思う芸人はおりますが、それと実際の芸の評価は別にしなければならないでしょう。 それこそ、今週の「Q&A」でよしりん先生が回答されていたように、「表現者や芸術家を道徳的に立派な人間と思ってはいけ」ないわけで、これは裏を返せば、表現者がバカだろうと犯罪者だろうと、その作品や表現物自体は別途に評価されてしかるべきと考えるわけです。 よって、「『朝生』に出演する村本」「ツイッターで炎上商法を続ける村本」は認めることは出来ないですが、「ウーマンラッシュアワーの漫才」は評価しても良い、と個人的には感じます(「漫才師の村本」というのは、非常に微妙な評価)。 木蘭先生の「トンデモ見聞録」は、非常に興味深い内容でした。 ここまであからさま且つひっそりとフェイクニュースを配信しているものだ、ということは知りませんでした。 コメント欄で、どなたかが「東スポみたいなもの」と書かれていましたが、それは「水上を歩こうとしてワニに食われた聖職者」のニュースぐらいで、他は東スポとは一線を画した笑えないデマばかり。 それも、いわゆる「ネット民」や「ネトウヨ」が喜んで拡散しそうな、分かりやすいエサですね(海外のネット民とかネトウヨの事情については全く知りませんが)。 ネットを利用すれば、限りなくノーコスト・ノーリスクで世論操作できてしまう、という実態をあらためて認識しました。 ちなみに私は、Yahoo!ニュースを含むネット記事を読まないようになって3~4ヶ月となりますが(読むとすれば、『ゴー宣』ブログでリンクを貼られた記事ぐらい)、それで特に生活に支障がないので、個人的にはこのままで良いのだなと思っています。 何しろ、時間を無駄にしたくないですものね。 ちなみに、私は警備員をやっておりまして、昨年の「大阪天神祭」「淀川花火大会」、先日の茨木市の「成人祭」で警備に当たっていましたが、公共心のない「エゴ」まるだしの人間をたくさん目にしました。 今の日本人が「公」のために「個」を確立するのには、まだまだ相当の時間がかかるな、と感じます。 東日本大震災の時、秩序を保っていた日本人の公共心の高さが海外で絶賛されていましたが、こういう状況は災害などの緊急事態の際に顕著になるのかなと思います。 平時で弛緩している日本人、それもイベントなどで浮かれている時は、「その場全体を良くして、皆で楽しむ」という意識が希薄になってしまうのでしょうかね。 「私」が楽しみたい、という人多数。 農耕民族としてのまとまりが、私利私欲で分断されているような感覚です。 ひょっとしたら、日本に留学したり就職している外国人の方が、よほど公共心を大切にしているのではないか、と感じたりします。
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今週も配信ありがとうございます。
仕事が忙しくて、久しぶりにきちんとした感想が書けます。
ウーマン村本が出演している時の『朝生』は見たことがないので、「こんなバカなことを発言していたのか!」と驚いてしまいました。
ただ、そもそも『朝生』は、何故このような見識の低いお笑い芸人を出演させているのだろう、という疑問の方が先に立ちました。
これで2度目になるのでしたっけ。
出演者のチョイスに、田原総一郎氏の意向は含まれているのでしょうか。
議論に「サヨク平和主義」のポジションが必要だったとしても、さすがにレベルが低すぎるし、何故お笑い芸人を選ぶのか、という疑問が拭えません。
一昔前、よしりん先生も出演された「従軍慰安婦問題」がテーマだった時、デーブ・スペクターが羽織袴で登場して、秦郁彦先生に対して「麻薬でもやってんじゃないの?」と、現在では考えられない罵詈雑言を吐いていましたが、見ていて「この人、慰安婦問題について何を知っているんだ?」と感じたことを思い出します。
知名度があろうとも、バカなド素人を出演させることの無意味さを、番組スタッフには認識していただきたいと思います。
昨年、よしりん先生は「やっかいなのは、実行力のあるバカ」とブログで書かれていましたが、「影響力のあるあるバカ」「知名度のあるバカ」もやっかいですよね。
ただ、コメント欄を拝見していると、ウーマンラッシュアワーの漫才そのものを否定されている方が散見されるのですが、「それは別」と捉えるべきではないでしょうか。
ウーマンの漫才がクローズアップされてきたのは恐らく5~6年前で、村本が早口でまくし立てながら絶対に噛まない、というスタイルは、グルーヴ感があって非常に斬新だと感じていました。
「何を言っているのか分かりづらい」という批判は当時からありましたし、近年は「ファンクラブ」というネタをフォーマットにしてその時々の時事ネタを随時織り込む、というスタンスをやり続けていますが、演芸なのだから「面白い・つまらない」という判断だけでよいのではないか? と思います。
村本に限らず、キングコング西野とかオリラジ中田とか、人間的にどうなんだ? と思う芸人はおりますが、それと実際の芸の評価は別にしなければならないでしょう。
それこそ、今週の「Q&A」でよしりん先生が回答されていたように、「表現者や芸術家を道徳的に立派な人間と思ってはいけ」ないわけで、これは裏を返せば、表現者がバカだろうと犯罪者だろうと、その作品や表現物自体は別途に評価されてしかるべきと考えるわけです。
よって、「『朝生』に出演する村本」「ツイッターで炎上商法を続ける村本」は認めることは出来ないですが、「ウーマンラッシュアワーの漫才」は評価しても良い、と個人的には感じます(「漫才師の村本」というのは、非常に微妙な評価)。
木蘭先生の「トンデモ見聞録」は、非常に興味深い内容でした。
ここまであからさま且つひっそりとフェイクニュースを配信しているものだ、ということは知りませんでした。
コメント欄で、どなたかが「東スポみたいなもの」と書かれていましたが、それは「水上を歩こうとしてワニに食われた聖職者」のニュースぐらいで、他は東スポとは一線を画した笑えないデマばかり。
それも、いわゆる「ネット民」や「ネトウヨ」が喜んで拡散しそうな、分かりやすいエサですね(海外のネット民とかネトウヨの事情については全く知りませんが)。
ネットを利用すれば、限りなくノーコスト・ノーリスクで世論操作できてしまう、という実態をあらためて認識しました。
ちなみに私は、Yahoo!ニュースを含むネット記事を読まないようになって3~4ヶ月となりますが(読むとすれば、『ゴー宣』ブログでリンクを貼られた記事ぐらい)、それで特に生活に支障がないので、個人的にはこのままで良いのだなと思っています。
何しろ、時間を無駄にしたくないですものね。
ちなみに、私は警備員をやっておりまして、昨年の「大阪天神祭」「淀川花火大会」、先日の茨木市の「成人祭」で警備に当たっていましたが、公共心のない「エゴ」まるだしの人間をたくさん目にしました。
今の日本人が「公」のために「個」を確立するのには、まだまだ相当の時間がかかるな、と感じます。
東日本大震災の時、秩序を保っていた日本人の公共心の高さが海外で絶賛されていましたが、こういう状況は災害などの緊急事態の際に顕著になるのかなと思います。
平時で弛緩している日本人、それもイベントなどで浮かれている時は、「その場全体を良くして、皆で楽しむ」という意識が希薄になってしまうのでしょうかね。
「私」が楽しみたい、という人多数。
農耕民族としてのまとまりが、私利私欲で分断されているような感覚です。
ひょっとしたら、日本に留学したり就職している外国人の方が、よほど公共心を大切にしているのではないか、と感じたりします。