笹師範と木蘭師範のブログを拝読しました。ゴー宣道場の参加者のひとりとして、自分の投稿内容について師範のご意見を伺えるというのはこの上ない光栄です。ありがとうございました。 私は社会人になって20年以上経ちますが、社会人になってからは勿論のこと、それまでもさまざまなセクハラ(当時はそんな言葉ありませんでしたが)を受けてきました。子供だったり、若すぎたりしたので、警察へ訴えることは勿論、誰にも言えなかったことが殆どですが、きっとそういう女性はたくさんいて、多くの女性が声に出さない(出せない)から、結果的に「なかったこと」になってしまいがちなのだと思います。とすれば、最低でも実刑をくらうような凶悪犯罪までいかないと、誰の目にも明らかに「ある」ことにならない、ということになってしまいます。 そこに一石を投じたのが#me tooだと思いますが、だからこそ、それに異を唱えるカトリーヌ・ドヌーヴらの公開書簡は「レイプは重罪です」から始まっているのだと思います。「レイプは重罪です。でも…」という内容だということですね。 よく考えれば、都議会ヤジのときも、詩織さんの事件でも、必ず加害者男性を擁護する女性が出てくる。笹師範が書かれていた「女性が女性の前に立ちはだかって男性を庇う」ってやつですね。 また、セクシャルハラスメントは根底に男尊女卑・女性蔑視があるものですが、そういうセクハラや、無自覚な男尊女卑・女性蔑視に対しては我が日本でも「それっておかしいんじゃないですか?」と言える雰囲気が少しずつこの社会にできはじめてきているのではないかと思います。でもそうは言っても、男性はやはりそう指摘されると、驚き、とまどい、傷つきさえすることがあるようです。 そりゃあそうだろうなとも思います。それまで空気のように当たり前に流れていたり、しばしば笑って受け止められていたことが、真顔でNOと言われるのだから、かなりの抵抗感があるのだろうと思います。でも上述したように、いつまでも流していてはなくならないし、やんわり言ってもなかなか伝わらないから、はっきり「それはおかしい」と言わざるをえない。 そういうときもいたりするものなのです。「女性の前に立ちはだかって男性を庇う女性」が。 そういうときの男性は、そういう女性に母性を見て、大変な安心や喜びを感じるようです。自称保守たちの言動を見ていてもわかりますが、自覚的でも、無自覚でも、男尊女卑思想や女性蔑視がどこかにある男性は、だいたい母性信奉があるものですから。 ポランスキーが監督した【反撥】(1965年)という映画があって、これが実に面白い作品なのですが、主演が当時22歳のカトリーヌ・ドヌーヴでした。そういう縁もあるのか、何人もの10代少女に対して性的虐待を繰り返したポランスキーをドヌーヴはずっと庇い続けています。「ポランスキーの作品は素晴らしい。それらの作品には罪はなく、守られるべきだ。でも彼は罪を犯した」とは決してならない。ポランスキーはドヌーヴより年上ですが、彼にとってドヌーヴは、自分を守ってくれて、優しく包み込んでくれるお母さんのようなものなのでしょう。
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笹師範と木蘭師範のブログを拝読しました。ゴー宣道場の参加者のひとりとして、自分の投稿内容について師範のご意見を伺えるというのはこの上ない光栄です。ありがとうございました。
私は社会人になって20年以上経ちますが、社会人になってからは勿論のこと、それまでもさまざまなセクハラ(当時はそんな言葉ありませんでしたが)を受けてきました。子供だったり、若すぎたりしたので、警察へ訴えることは勿論、誰にも言えなかったことが殆どですが、きっとそういう女性はたくさんいて、多くの女性が声に出さない(出せない)から、結果的に「なかったこと」になってしまいがちなのだと思います。とすれば、最低でも実刑をくらうような凶悪犯罪までいかないと、誰の目にも明らかに「ある」ことにならない、ということになってしまいます。
そこに一石を投じたのが#me tooだと思いますが、だからこそ、それに異を唱えるカトリーヌ・ドヌーヴらの公開書簡は「レイプは重罪です」から始まっているのだと思います。「レイプは重罪です。でも…」という内容だということですね。
よく考えれば、都議会ヤジのときも、詩織さんの事件でも、必ず加害者男性を擁護する女性が出てくる。笹師範が書かれていた「女性が女性の前に立ちはだかって男性を庇う」ってやつですね。
また、セクシャルハラスメントは根底に男尊女卑・女性蔑視があるものですが、そういうセクハラや、無自覚な男尊女卑・女性蔑視に対しては我が日本でも「それっておかしいんじゃないですか?」と言える雰囲気が少しずつこの社会にできはじめてきているのではないかと思います。でもそうは言っても、男性はやはりそう指摘されると、驚き、とまどい、傷つきさえすることがあるようです。
そりゃあそうだろうなとも思います。それまで空気のように当たり前に流れていたり、しばしば笑って受け止められていたことが、真顔でNOと言われるのだから、かなりの抵抗感があるのだろうと思います。でも上述したように、いつまでも流していてはなくならないし、やんわり言ってもなかなか伝わらないから、はっきり「それはおかしい」と言わざるをえない。
そういうときもいたりするものなのです。「女性の前に立ちはだかって男性を庇う女性」が。
そういうときの男性は、そういう女性に母性を見て、大変な安心や喜びを感じるようです。自称保守たちの言動を見ていてもわかりますが、自覚的でも、無自覚でも、男尊女卑思想や女性蔑視がどこかにある男性は、だいたい母性信奉があるものですから。
ポランスキーが監督した【反撥】(1965年)という映画があって、これが実に面白い作品なのですが、主演が当時22歳のカトリーヌ・ドヌーヴでした。そういう縁もあるのか、何人もの10代少女に対して性的虐待を繰り返したポランスキーをドヌーヴはずっと庇い続けています。「ポランスキーの作品は素晴らしい。それらの作品には罪はなく、守られるべきだ。でも彼は罪を犯した」とは決してならない。ポランスキーはドヌーヴより年上ですが、彼にとってドヌーヴは、自分を守ってくれて、優しく包み込んでくれるお母さんのようなものなのでしょう。