「経営のためには安倍晋三にも頭を下げる」 「経営のためには小林先生の活動を批判・妨害する」 という例えの意味が全く分かりません。 お得意様の社長は気にくわない奴だけど頭を下げる、なら分かります。 でも、政治家である安倍晋三に頭を下げる、というのはまるで意味が異なります。 「公」のために自分は何を成すべきか、という「個」を喪失して、「自分たち(会社)はとにかく食っていきたい」という「私」に走っていくというこではないのですか? よしりん先生が過去にブログで書いていたように、権力が「公」に寄り添っているのならば権力を支持する、ということでよいでしょう。 でも、明らかに「公」に反している安倍晋三に頭を下げることで食っていく、というのは、いわば三浦瑠璃や山口敬之の立ち位置そのものではないですか? ましてや、自分たちが食っていくために、「個」が「公」のために行っている活動を批判・妨害するというのは、一体どういう状況ですか? それは、ネトウヨに「親安倍・親自民党」「反民進党・反共産党」などの投稿を書かせて報酬を与えている何とかクラウドというネットの会社そのものではないですか? 社員のために会社経営を盤石なものにするのは、必要なことでしょう。 でも、その方針に経営者の「私心」が含まれ、企業活動が社会に貢献することになっていない、と多くの社員が感じたとき、いかに数字上はその会社は盤石でも、その先安定した経営が出来るでしょうか? 民間工場経営者だったオスカー・シンドラーや、経営者ではないですが本国の指示に従わなかった外交官の杉原千畝らは、自身の生命の危機を感じながらも、ユダヤ人を可能な限り、虐殺の魔の手から逃れる手助けをしていますよね。 シンドラーはユダヤ人を貴重な労働者とみなしていた、とも言いますが、いずれにせよ彼らはヒトラーにも本国政府にも頭を下げなかったのです。 「公」のために「個」を確立し、なおかつ自身が破滅することなく、天寿を全うしています。 経営者にはそれぐらいの「覚悟」が必要なのではないですか? そういうことを、『ゴー宣道場』でも『ライジング』でも散々議論してきたのではないですか? クリリンがやって来た氏のような常連さんが、「自分は経営の実際を分かっている」「頭を下げたくないのは、総じて甘ちゃん」という、高見猿的なニヒリズムをここで持ち出してきたのには、正直驚いています。 相反する二者の矛盾を解消して高みに登る=アウフヘーベン、という考え方も取り上げられましたよね? そもそも、我々『ライジング』の読者が、何故「よしりん企画」の経営方針や『ゴー宣道場』の開催ペースについて、ああだこうだと言えるんですか? 我々はこれらの活動に関しては、設営隊でなければ当事者ではありませんし、プロでもありません。 連載の枚数が少なければ大変なのだ、という現実を知ったところで、あとは「大変なんだな」と思いながら「SAPIO」や「FLASH」、その他単行本を買って、応援することしかできません。 如何に自分が小林先生の思想を理解していて、自分がそこに近づいて行っているとはいえども、思い上がっちゃいけません。 私はクリリンがやって来た氏こそが、世の経営者を舐めているようにしか見えませんが、いかがでしょうか。
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「経営のためには安倍晋三にも頭を下げる」
「経営のためには小林先生の活動を批判・妨害する」
という例えの意味が全く分かりません。
お得意様の社長は気にくわない奴だけど頭を下げる、なら分かります。
でも、政治家である安倍晋三に頭を下げる、というのはまるで意味が異なります。
「公」のために自分は何を成すべきか、という「個」を喪失して、「自分たち(会社)はとにかく食っていきたい」という「私」に走っていくというこではないのですか?
よしりん先生が過去にブログで書いていたように、権力が「公」に寄り添っているのならば権力を支持する、ということでよいでしょう。
でも、明らかに「公」に反している安倍晋三に頭を下げることで食っていく、というのは、いわば三浦瑠璃や山口敬之の立ち位置そのものではないですか?
ましてや、自分たちが食っていくために、「個」が「公」のために行っている活動を批判・妨害するというのは、一体どういう状況ですか?
それは、ネトウヨに「親安倍・親自民党」「反民進党・反共産党」などの投稿を書かせて報酬を与えている何とかクラウドというネットの会社そのものではないですか?
社員のために会社経営を盤石なものにするのは、必要なことでしょう。
でも、その方針に経営者の「私心」が含まれ、企業活動が社会に貢献することになっていない、と多くの社員が感じたとき、いかに数字上はその会社は盤石でも、その先安定した経営が出来るでしょうか?
民間工場経営者だったオスカー・シンドラーや、経営者ではないですが本国の指示に従わなかった外交官の杉原千畝らは、自身の生命の危機を感じながらも、ユダヤ人を可能な限り、虐殺の魔の手から逃れる手助けをしていますよね。
シンドラーはユダヤ人を貴重な労働者とみなしていた、とも言いますが、いずれにせよ彼らはヒトラーにも本国政府にも頭を下げなかったのです。
「公」のために「個」を確立し、なおかつ自身が破滅することなく、天寿を全うしています。
経営者にはそれぐらいの「覚悟」が必要なのではないですか?
そういうことを、『ゴー宣道場』でも『ライジング』でも散々議論してきたのではないですか?
クリリンがやって来た氏のような常連さんが、「自分は経営の実際を分かっている」「頭を下げたくないのは、総じて甘ちゃん」という、高見猿的なニヒリズムをここで持ち出してきたのには、正直驚いています。
相反する二者の矛盾を解消して高みに登る=アウフヘーベン、という考え方も取り上げられましたよね?
そもそも、我々『ライジング』の読者が、何故「よしりん企画」の経営方針や『ゴー宣道場』の開催ペースについて、ああだこうだと言えるんですか?
我々はこれらの活動に関しては、設営隊でなければ当事者ではありませんし、プロでもありません。
連載の枚数が少なければ大変なのだ、という現実を知ったところで、あとは「大変なんだな」と思いながら「SAPIO」や「FLASH」、その他単行本を買って、応援することしかできません。
如何に自分が小林先生の思想を理解していて、自分がそこに近づいて行っているとはいえども、思い上がっちゃいけません。
私はクリリンがやって来た氏こそが、世の経営者を舐めているようにしか見えませんが、いかがでしょうか。