リボンの騎士 のコメント

批判するにしても、#me tooに限らずこういうのは一枚岩ではないものだということを、認識しておくべきだろうと思います。これはどういうことかと言えば、例えば、表現の自由への侵害は許されないから、#me tooも認められないとは必ずしもならない、ということなどです。

いずれにせよ、声明文の全文を読んでみると、そもそもがずれていると思わざるをえない箇所がいくつもあり、名誉男性の発想そのものという印象さえ受けます。
「彼らのしたことと言えば、(仕事上の付き合いがあるだけの)それを望まない女性に対して、膝を触ったり、キスをしたり、個人的で親密な言葉を囁いたり、性的なメッセージを送ったりしただけ。それだけで、彼らは制裁を受けたり、辞職に追いやられている」
とあります。私は記事を読んで、てっきりそれらの行為はフランスではセクハラにはならないのかと吃驚したのですが、当のフランスで、そんなことが許さるはずない、一緒にするなと、声明文への批判意見がふつうにあります。考えてみれば当然なのですが、彼女らの意見や考えが、フランス人のそれを代弁しているわけではやはりなさそうです。

カトリーヌ・ドヌーヴついて言えば、彼女の歴代の恋人たちは、監督や俳優など、10代の頃からそのときのフランス映画界きっての実力者が殆どだし、彼女自身若くしてスター街道に乗った女優だから、立場を利用した露骨なセクハラを受けたことなどないか、例えあったとしても、若いときから彼女は彼らに決して負けない力を持っていたから、堂々と“NON!”と言えたはずです。だから、そういう男たちによって、チャンスを潰されたり、それを手放すことになってしまったり、口を閉ざすしかなく、理不尽や屈辱を味あわざるをえない状況になった女性が数多いた(いる)ことに想像が及ばないのかもしれません。
実際、ワインスタインの性的要望に応えなかった女優らについてある映画監督は、「そのときは本当の理由を知らなかったが、ワインスタインから“使うな”と言われていた女優が複数いた」と証言していますが、#me tooで告発しているセクハラの根本はパワハラだということが、感覚として理解できないのではないかと思います。

「私たち女は、例えそれが犯罪だとしても、地下鉄の痴漢に心を傷つけられずにいられるし、それは性の貧困さから来るものであり、たいしたことではないと捉えることができる」
「女性の体へのアクシデントは、必ずしも女性の尊厳を傷つけない。時にそれが辛いものであっても、女性を永遠の犠牲者にしてはならない」
「男性とセクシャリティへの憎悪であるフェミニズム」
とまあ言いたい放題です。

No.130 76ヶ月前

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