今朝のブログでも触れられていましたが、私も#me tooやLe Mondo紙に掲載された声明文に関する内容の投稿させていただこうと思います。長くなってしまうので恐縮ですが、3回に分けて投稿いたします。 ワインスタインのスキャンダルを発端とする#me tooムーヴメントについて、私は声をあげる女性に敬意を持っています。 自分自身を含め、多くの女性は、自分が受けた性被害について口にしたくないものだし、実際してこなかった、しない女性は多く、思い出したくもない傷の深さゆえ、日常生活を営む上で自分の気持ちを守るために、まるでそれをなかったことのように自分で蓋をしがちです。(女性と書きましたが、性虐待は女性に限ったことではないので、男性にも同様のことが言えると思います) でも本来、セクハラや性的虐待・暴力はあってはならないのであって、そのためにはまず、そういうことが家族含め親族内、近所、学校、職場などの私たちの身近な場所において、日常的に起こりうる理不尽、暴力だということを、加害者の立場になっていることに無自覚な人や、男女問わずそういうことを知らなかったりわからない人たちに、知って(わかって)もらわなければ始まりません。 そのために、自分の体験談を語るなど、声をあげる勇気ある女性によって#me tooは意味あるムーヴメントになっているのではないかと考えています。 #me tooの主旨はいたってシンプルだと考えられ、セクハラや性的虐待・暴力には、その背景に力関係があるものであり、力を持つ人が、相対的にそれが小さく、弱い立場の人に対して、軽んじるな、蔑むな、そして暴力はやめろ、ということだろうと思います。 つい最近、その#me tooに対し異を唱える声明文が、仏のLe Mondo紙に掲載されました。カトリーヌ・ドヌーヴをはじめとする100名の賛同者によるものですが、その内容について私は、複数の日本語訳されたものを読み比べてみたことで、書いてある内容はほぼ把握できているのではないかと思っています。 声明文の賛同者には作家が多くいることもあるのか、表現の自由への侵害についても言及していて、その箇所については私も同意しますし、#me tooの賛同者の中には一部間違った方向や、極端な言動に走ってしまっている人もいるのだろうと思います。 セクハラや性暴力を許せないと思いながらも、中には自分が受けた被害について言わない、言いたくないという人もいて、そういう人はそっとしておいてあげなければならないし、また、先日のゴールデングローブ賞において、#me tooやTime‘s up、セクハラへの抗議の連帯として、黒い衣装を着て出演しようというのも違和感がありました。こういうやり方は、何らかの同調圧力を感じてしまってもおかしくはなく、主旨に賛同していたとしても、黒ではない自分が着たい衣装を身につけたい人も当然いるはずで、結果的にであっても、黒い衣装を着ないことで批判されるような風潮を作りだしているのであればそれは間違っているのではないかと思います。
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今朝のブログでも触れられていましたが、私も#me tooやLe Mondo紙に掲載された声明文に関する内容の投稿させていただこうと思います。長くなってしまうので恐縮ですが、3回に分けて投稿いたします。
ワインスタインのスキャンダルを発端とする#me tooムーヴメントについて、私は声をあげる女性に敬意を持っています。
自分自身を含め、多くの女性は、自分が受けた性被害について口にしたくないものだし、実際してこなかった、しない女性は多く、思い出したくもない傷の深さゆえ、日常生活を営む上で自分の気持ちを守るために、まるでそれをなかったことのように自分で蓋をしがちです。(女性と書きましたが、性虐待は女性に限ったことではないので、男性にも同様のことが言えると思います)
でも本来、セクハラや性的虐待・暴力はあってはならないのであって、そのためにはまず、そういうことが家族含め親族内、近所、学校、職場などの私たちの身近な場所において、日常的に起こりうる理不尽、暴力だということを、加害者の立場になっていることに無自覚な人や、男女問わずそういうことを知らなかったりわからない人たちに、知って(わかって)もらわなければ始まりません。
そのために、自分の体験談を語るなど、声をあげる勇気ある女性によって#me tooは意味あるムーヴメントになっているのではないかと考えています。
#me tooの主旨はいたってシンプルだと考えられ、セクハラや性的虐待・暴力には、その背景に力関係があるものであり、力を持つ人が、相対的にそれが小さく、弱い立場の人に対して、軽んじるな、蔑むな、そして暴力はやめろ、ということだろうと思います。
つい最近、その#me tooに対し異を唱える声明文が、仏のLe Mondo紙に掲載されました。カトリーヌ・ドヌーヴをはじめとする100名の賛同者によるものですが、その内容について私は、複数の日本語訳されたものを読み比べてみたことで、書いてある内容はほぼ把握できているのではないかと思っています。
声明文の賛同者には作家が多くいることもあるのか、表現の自由への侵害についても言及していて、その箇所については私も同意しますし、#me tooの賛同者の中には一部間違った方向や、極端な言動に走ってしまっている人もいるのだろうと思います。
セクハラや性暴力を許せないと思いながらも、中には自分が受けた被害について言わない、言いたくないという人もいて、そういう人はそっとしておいてあげなければならないし、また、先日のゴールデングローブ賞において、#me tooやTime‘s up、セクハラへの抗議の連帯として、黒い衣装を着て出演しようというのも違和感がありました。こういうやり方は、何らかの同調圧力を感じてしまってもおかしくはなく、主旨に賛同していたとしても、黒ではない自分が着たい衣装を身につけたい人も当然いるはずで、結果的にであっても、黒い衣装を着ないことで批判されるような風潮を作りだしているのであればそれは間違っているのではないかと思います。