言葉とは差別的に存在しているとても恐ろしいものなのではないでしょうか。器量のない人間は何を言っても無駄であり、空虚な中身のない自意識ではなく、自らの実名と力量によって得た、経験として確かに実感のある「結果」を通じて育まれた自尊心を持つ者でなければ言葉に重みを含ますことは決して出来ず、結果、人心を動かすことも不可能でしょう。 言葉の力とは経験を伴わない自意識では育つことはなく、経験値によって入手可能な「自尊心」のみ成長させることが出来るのではないでしょうか(私は野中郁次郎氏の『失敗の本質』という本がとにかくいまだに嫌いです)。 経験値のない人間がいくら経験値のある人物を批判しようとも、客観的に見つめればそこには寂しさしか生まれません。まずは自分の力量を見極めて、言葉を探し出すしかありません。 安倍政権にも戦争論を批判しているライターにも共通しているものは、自尊心から生まれてくる言葉の純量が乏しいということです。只々、自意識が浮遊しているような言葉の軽さだけが露呈してしまっています。
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小林よしのりチャンネル
(ID:37107941)
言葉とは差別的に存在しているとても恐ろしいものなのではないでしょうか。器量のない人間は何を言っても無駄であり、空虚な中身のない自意識ではなく、自らの実名と力量によって得た、経験として確かに実感のある「結果」を通じて育まれた自尊心を持つ者でなければ言葉に重みを含ますことは決して出来ず、結果、人心を動かすことも不可能でしょう。
言葉の力とは経験を伴わない自意識では育つことはなく、経験値によって入手可能な「自尊心」のみ成長させることが出来るのではないでしょうか(私は野中郁次郎氏の『失敗の本質』という本がとにかくいまだに嫌いです)。
経験値のない人間がいくら経験値のある人物を批判しようとも、客観的に見つめればそこには寂しさしか生まれません。まずは自分の力量を見極めて、言葉を探し出すしかありません。
安倍政権にも戦争論を批判しているライターにも共通しているものは、自尊心から生まれてくる言葉の純量が乏しいということです。只々、自意識が浮遊しているような言葉の軽さだけが露呈してしまっています。