このところ、個人的な用件が多く、コメントを控えておりました。 山尾志桜里議員の応援、お疲れ様です。辻元議員の応援も。 なんとか汚名が晴れて、当選してほしいです。 僭越ながら、四ない選挙、とても大変なこととお察したします。 自民党や公明党の議員も、無所属で立候補してみればよろしいのに。 昔読んだ、菊池寬の小説だと思うのですが、確かこんなのがあります。 ある戦国時代の武将がいて、その人は夕刊、もとい勇敢で、槍の名手と呼ばれ、彼の鎧が現れた際には、敵は常に怯(ひる)んでしまっていました。 ある時、主君の息子が、自分にその鎧を貸して欲しい、自分も一番槍をあげてみたいと懇願してきたため、彼はその鎧を貸してあげました。 思った通り、主君の子は手柄をあげました。 ところが、その侍が戦う段になって、敵の各武将は猛攻をしかけてきました。 つまり、その武士のトレードマークである鎧が出ている時には、敵は「勝てない」と思っているので、敢えて攻撃を避け、無名の、ごく普通の甲冑をつけている武士には、そのような先入観がないので、手柄を立てられる、むしろその侍が強ければ強いほど栄誉になる、というわけです。 侍はこれまで以上に戦いました。しかし、彼の脇腹を一本の敵の槍が貫きました。 選挙における「看板」とか「党」とか、その党の「スローガン、選挙の政権公約」とは、このようなものなのではないか、と私は思います。 先日、立ち寄った駅でも、与党の候補者が安倍政権になってから、景気がどれだけよくなったとか、民主党政権の政策をどのように是正した、とかいうことを、数字などをあげながら、具体的にあげていらっしゃいましたが、雨の中、帰りを急ぐ人たちには、どうもうるさい行動としかうつらなかったようです。 電話やメールをしていた人もいたようで。 それでも、小選挙区の仕組みで与党が勝利しそうなのだから、いったい、民主制、否、多数決主義とは、なんと愚かしいものだと感じます。 反対票の数を合計しても、それが與論(よろん)の総計にはならないのだから。 某市の選挙と、同じです。 無党派層は、反対派が同じようなことを繰り返していたら、「なぜこの人たちは喧嘩を、対立をしてるのだろう?」と怪しんでしまい、投票行為への関心そのものを失います。 本来、立憲主義とは、憲法が国民を守るべく、政府に制約を課すものならば、相互に撞着を起さずに、互いに補完しあう筈なのに。 私は、「立憲と民主の党」、という理解をしています。小林先生の解釈では、「立憲の民主の党」になるわけですね。 ただ、この名前、カデットという前例があるので、縁起は悪いのですが、ロシヤと日本とでは事情が異なると思います。 日本で革命が起こったら、えらいことになりますから。そんなことは絶対にあってはならないです。 いづれにしても、前回の№169のかたや、 高森先生の「2017/10/17、小選挙区の『罠』」にあるように、「自民と希望が競っている選挙区」は、目をつぶって「希望」に入れるのがよい、と私も思います。 選挙とは党に入れるものではなく、人に投票するものなのだから。 知ったかぶりをしますが、「人の過ちはおのおのその党においてす。過ちを覧て、ここに仁を知る」とおっしゃられておりますし。
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このところ、個人的な用件が多く、コメントを控えておりました。
山尾志桜里議員の応援、お疲れ様です。辻元議員の応援も。
なんとか汚名が晴れて、当選してほしいです。
僭越ながら、四ない選挙、とても大変なこととお察したします。
自民党や公明党の議員も、無所属で立候補してみればよろしいのに。
昔読んだ、菊池寬の小説だと思うのですが、確かこんなのがあります。
ある戦国時代の武将がいて、その人は夕刊、もとい勇敢で、槍の名手と呼ばれ、彼の鎧が現れた際には、敵は常に怯(ひる)んでしまっていました。
ある時、主君の息子が、自分にその鎧を貸して欲しい、自分も一番槍をあげてみたいと懇願してきたため、彼はその鎧を貸してあげました。
思った通り、主君の子は手柄をあげました。
ところが、その侍が戦う段になって、敵の各武将は猛攻をしかけてきました。
つまり、その武士のトレードマークである鎧が出ている時には、敵は「勝てない」と思っているので、敢えて攻撃を避け、無名の、ごく普通の甲冑をつけている武士には、そのような先入観がないので、手柄を立てられる、むしろその侍が強ければ強いほど栄誉になる、というわけです。
侍はこれまで以上に戦いました。しかし、彼の脇腹を一本の敵の槍が貫きました。
選挙における「看板」とか「党」とか、その党の「スローガン、選挙の政権公約」とは、このようなものなのではないか、と私は思います。
先日、立ち寄った駅でも、与党の候補者が安倍政権になってから、景気がどれだけよくなったとか、民主党政権の政策をどのように是正した、とかいうことを、数字などをあげながら、具体的にあげていらっしゃいましたが、雨の中、帰りを急ぐ人たちには、どうもうるさい行動としかうつらなかったようです。
電話やメールをしていた人もいたようで。
それでも、小選挙区の仕組みで与党が勝利しそうなのだから、いったい、民主制、否、多数決主義とは、なんと愚かしいものだと感じます。
反対票の数を合計しても、それが與論(よろん)の総計にはならないのだから。
某市の選挙と、同じです。
無党派層は、反対派が同じようなことを繰り返していたら、「なぜこの人たちは喧嘩を、対立をしてるのだろう?」と怪しんでしまい、投票行為への関心そのものを失います。
本来、立憲主義とは、憲法が国民を守るべく、政府に制約を課すものならば、相互に撞着を起さずに、互いに補完しあう筈なのに。
私は、「立憲と民主の党」、という理解をしています。小林先生の解釈では、「立憲の民主の党」になるわけですね。
ただ、この名前、カデットという前例があるので、縁起は悪いのですが、ロシヤと日本とでは事情が異なると思います。
日本で革命が起こったら、えらいことになりますから。そんなことは絶対にあってはならないです。
いづれにしても、前回の№169のかたや、
高森先生の「2017/10/17、小選挙区の『罠』」にあるように、「自民と希望が競っている選挙区」は、目をつぶって「希望」に入れるのがよい、と私も思います。
選挙とは党に入れるものではなく、人に投票するものなのだから。
知ったかぶりをしますが、「人の過ちはおのおのその党においてす。過ちを覧て、ここに仁を知る」とおっしゃられておりますし。