私は、正直、切通師範の文章の方がより多くの共感を得るのではないかと感じました。 山尾氏も倉持師範も、同志なのだから、「守る」のは当たり前。 問題はどのようにして「守る」か。 本当の意味で「守る」ためには、身内だからこそ、他人(世間)よりも一層厳しいやり方に徹しなければならないだろうと思います。 かといって、師範を辞めさせるとか・国会議員を辞するとか、安易に排除するやり方では、問題そのものから「逃げる」ことになるのでとるべきではない。 今までと同じように、いやそれ以上に二人の活動の場を増やして、徹底的に世間の糾弾を浴びても、それでも二人が這い上がってくることができるか、本人たちの地力を信じて任せて、黙して見守るべきであろうと思います。 それこそが本来の「信じる」であり、「守る」方法であろうと考えます。 「いじる」とか「ヤリチン弁護士」とか、“私的”な言葉で(ある種、笑いの要素にかえて)流してしまうのでは、ゴー宣道場に縁のない人々が納得するやり方ではないのではないでしょうか。 その点、切通師範の言葉の方が(一見表面は厳しいですが)実は重く、“愛”が深いように、私は響きました。 笹師範、いかがでしょうか。
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小林よしのりチャンネル
(ID:2577880)
私は、正直、切通師範の文章の方がより多くの共感を得るのではないかと感じました。
山尾氏も倉持師範も、同志なのだから、「守る」のは当たり前。
問題はどのようにして「守る」か。
本当の意味で「守る」ためには、身内だからこそ、他人(世間)よりも一層厳しいやり方に徹しなければならないだろうと思います。
かといって、師範を辞めさせるとか・国会議員を辞するとか、安易に排除するやり方では、問題そのものから「逃げる」ことになるのでとるべきではない。
今までと同じように、いやそれ以上に二人の活動の場を増やして、徹底的に世間の糾弾を浴びても、それでも二人が這い上がってくることができるか、本人たちの地力を信じて任せて、黙して見守るべきであろうと思います。
それこそが本来の「信じる」であり、「守る」方法であろうと考えます。
「いじる」とか「ヤリチン弁護士」とか、“私的”な言葉で(ある種、笑いの要素にかえて)流してしまうのでは、ゴー宣道場に縁のない人々が納得するやり方ではないのではないでしょうか。
その点、切通師範の言葉の方が(一見表面は厳しいですが)実は重く、“愛”が深いように、私は響きました。
笹師範、いかがでしょうか。