四君子 のコメント

 先の投稿を少し修正します。
 >>101 本人の自然治癒力を伸ばす、というやりか→「た」が抜けておりました。
 それと、ライジングの感想をきちんと記します(はじめに投稿したのも、決していい加減なものではありませんが)。

 日本の官僚制は、支那の科挙を参考にした、とよく言われます。
 でも、科挙は最後に「皇帝」との面接(殿試)を受けなければならぬように、君主との私的なつながりが求められる試験です。
 たとえ、それが何度も、厳正に試行されたとしても(一室に何ヶ月も閉じ込められて、ノイローゼになり、幽霊をみた、という話もあります)(出典:宮崎市定「科挙」、中公文庫より)。
 すなわち、この場合の官吏とは、「政治家」であって、内閣人事局が地元の「胥吏(しょり)」を縛るという構造とそっくりなのだと思いました。
 「官吏」=「公務員」と理解しては大きな勘違いを犯す、と。
 だから、私服を肥やすやからがどちらの場合も現れ、根拠のない他人の中傷をする政治家が現れるのだといえるのではないでしょうか。
 木蘭さんのとりあげられた木曽功元内閣官房参与なども、「公務員」ではなく、ただの「官吏」でしかないのでしょう。
 「良薬口に苦し」であって、人は自分自身のためにも「意見の同意者」を求めるようなことはしてはならない、と思うのです。自分を非難し、批判してくれる人が居る、ということは、とても幸せなことだと感じるのです。
 おそらく、安倍の廻りには、意見の同調者しか居ないのでしょうね。
 そんなことを、加計学園のことでも、安倍政権のピースボートの辻元さん批判などでも、感じました。
 あと、あの海外の日本人を助けるために、集団自衛権が必要だ、というパネル、幼稚ですね。

 あと、今回も少しQ&Aのことを記します。
 男と女の優しさは違う、という話がありました。
 ドラえもんで、男と女の仕草をいれかえる、という話がありましたが、あやとりが好きでも、男らしい人間は居るのではないか、と当時から思ってきました。
 とある漫画家の作品に触れます。
 その作品では、罪を犯した人間の魂を、生まれ変わりのたびに刈り取る天界の狩人というのが主人公なのですが、
 とある罪人の転生である少年が、愛する人に会いたいため、(事情がよくわからぬままに)、その狩人に、その人に再会させてくれたら狩られてもよい、という「約束」をします。
 そして、艱難辛苦を経た上で、何とか願いが叶いました。
 主人公の狩人は、口論があった末に、「約束しただろ」といって、その少年の命を奪いました。
 少年の愛する相手は、「人殺し」と狩人のことをののしりました。
 その様子をみていた、仲間の狩人は、「もしも仲間がやっていなかったら、自分がやっていた(本当は、それはタブーなのですが)。約束とは守るものだ」と告げました。
 なんとなく、そんな話を思い出しました。その仲間の狩人が主人公のことを思いやって発言したことも、人の発言したことをきちんと受け止め、その通りに守る、という点でも、優しさとは厳しさにもつながるのだと感じます(トッキーさんのツイッターの件とも関連がありそうです)。
 そういう意味でも、言葉とは重いものだと思うのです(もっとも、その作品では、主人公は、ほかの仲間の狩人に、「約束なんて、破るものだぞ」と笑われたりもするのですが)。

No.115 91ヶ月前

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