切通師範の文字、本当に大きいです。イムパクト大です。 取り上げる視点のスケールも、非常に大きいです。 冨田真由さん事件に関連して、もう少し私的な見解をのべます。 以前、「101回目のプロポーズ」が大嫌いでしたということを、投稿しました。 「でした」と書きましたが、今現在も全力で否定しています。 あのトラックのシーンや最後のボルトの場面や、ボーナスで競馬劵を買う場面などだけではなく、作そのものが、全体が嫌いなのです。 烏滸がましいことですが、小林先生のライジングで、この作品がストーカーの典型例だと指摘されていたのをよんで、感動しました。 かつて、この番組が放送されていた当時、そんなことをいった人は皆無に等しかったから。 さらに、ライジングコメントで、一斉にこの作品への否定的意見がならんだことについて、 「どうして人は、何かに流されてしまうのだろう」、なんて失礼なことも思いました。つつしんでお詫びします。 でも、今もこの作品を純愛ドラマの最高傑作だと感じている人が多いことを思うと、 自分の独善的な感想を記すのは、差し控えられて、あのような筆になったのです。 いいわけですが、つけくわえておきます。 ということで、これから本音、個人的な思いをのべます (じつを申せば、以下のことははやくほかの投稿で埋もれて、目立たなくなってほしいのです)。 たとえば、これがどこかのサークルの話で、 周囲で、冗談ではやしたてたつもりが、まじに受け取ってアタックして、 つきあっている相手が別にいて、ふられた場合、 集団の場を乱したという話にでもなったら、どうするのだ、ということです。 お前は、場をなごませるためのむだ話も分からないのか、場の空気位よめ、と。 この場合、相手が神経質で、だまされやすい(と感じ、判断した)とかいう理屈は一切通用しないでしょう。 かりに、相手との関係修復をはかろうとしているだけだ、と主張しても。 こういう狭い空間では、火のないところに煙を立てるようなことが、頻繁におこなわれるのだ、といって、反駁されます。 会社だったら、社内恋愛はご法度、環境が悪くなるということにでもなるのでしょうか。 「東京ラブストーリー」には、カンチと一夜をともにしたあとのリカが、会社でわざと本を積み重ねて、机の廻りに壁をつくる場面があります。そんな話も思い浮かべました。 変なたとえ話をしましたが、確かに冨田さんのような事例を見ると、ストーカーは監禁せよ、という主張に真理が見えてきます。 でも、人が人を好きになるということは、一面において、純粋に素晴らしいことであり、 その思いを告げるのは、勇気の證明だとも言われます。 しかし、準備も何もない、慎重さをかいた本能だけの行為が、廻りに害を及ぼすことを思うと、 いったい、恋愛をすることは人にとって、是なのか非なのか、幸福なのか不幸の始まりなのか、といった疑問も生じるのです。 あるいは、恋とは、 1.極祕裡におこなうのが適切で 2.本丸を攻めるには二の丸、三の丸を攻略する必要があり(すなわち、異性の友人を通して打診する) 3.木の枝を隠すには、植林をして目立たなくするのが良くて(本命を糊塗するため、可愛い子には手あたり次第に好きだといいまくる) 4.それらのくだらないことで煩悶するのは不誠実であり、最初から何もしないのが一番なのだ といったことも。 これらの煩悩、撞着は、要は、自分に男性的、あるいは人間としての魅力がない、それだけのことなのでしょう。 風俗の公営化、といった政策は、こうした迷いを起こさせぬようにする、 異性交渉の濫觴(らんしょう)、性意識に対する教化、といった側面もあると思われます。 あと、 5.ある特定の集団の中で一番綺麗な子だといった場合、それが即好きだということにつながるのか ということにも頭を傾げます。 美的判断と感情の問題とは、別物ではありますまいか。 初期ゴー宣で、小林先生が自分のクラスは美人揃いだと吹聴したら、そうでもなかった、というのと似た話ではないのでしょうか。 また阿呆なことを書きました。今回のライジングテーマからはづれてしまって、ごめんなさい。 ただし、これは公と私の問題に、密接に結びついている話題でしょう。 自分はこうした場に記すのにも、かなり気をつけているつもりです。 あと、次回の道場も、應募しません。参加者が少ないのに、申しわけないです。ほかのかたがたには、すすんで應募・参加してほしいです。 それと、皇太子殿下の57歳のお誕生日、おめでたうございます・・・ぢゃないですね、もう57なのです。数へ年なら、還暦まであと3年なのですから。 先生がたの活動は、今後のことも見据ゑた上で、この世でかけがいのないものだと思ひます。
チャンネルに入会
フォロー
小林よしのりチャンネル
(ID:22136524)
切通師範の文字、本当に大きいです。イムパクト大です。
取り上げる視点のスケールも、非常に大きいです。
冨田真由さん事件に関連して、もう少し私的な見解をのべます。
以前、「101回目のプロポーズ」が大嫌いでしたということを、投稿しました。
「でした」と書きましたが、今現在も全力で否定しています。
あのトラックのシーンや最後のボルトの場面や、ボーナスで競馬劵を買う場面などだけではなく、作そのものが、全体が嫌いなのです。
烏滸がましいことですが、小林先生のライジングで、この作品がストーカーの典型例だと指摘されていたのをよんで、感動しました。
かつて、この番組が放送されていた当時、そんなことをいった人は皆無に等しかったから。
さらに、ライジングコメントで、一斉にこの作品への否定的意見がならんだことについて、
「どうして人は、何かに流されてしまうのだろう」、なんて失礼なことも思いました。つつしんでお詫びします。
でも、今もこの作品を純愛ドラマの最高傑作だと感じている人が多いことを思うと、
自分の独善的な感想を記すのは、差し控えられて、あのような筆になったのです。
いいわけですが、つけくわえておきます。
ということで、これから本音、個人的な思いをのべます
(じつを申せば、以下のことははやくほかの投稿で埋もれて、目立たなくなってほしいのです)。
たとえば、これがどこかのサークルの話で、
周囲で、冗談ではやしたてたつもりが、まじに受け取ってアタックして、
つきあっている相手が別にいて、ふられた場合、
集団の場を乱したという話にでもなったら、どうするのだ、ということです。
お前は、場をなごませるためのむだ話も分からないのか、場の空気位よめ、と。
この場合、相手が神経質で、だまされやすい(と感じ、判断した)とかいう理屈は一切通用しないでしょう。
かりに、相手との関係修復をはかろうとしているだけだ、と主張しても。
こういう狭い空間では、火のないところに煙を立てるようなことが、頻繁におこなわれるのだ、といって、反駁されます。
会社だったら、社内恋愛はご法度、環境が悪くなるということにでもなるのでしょうか。
「東京ラブストーリー」には、カンチと一夜をともにしたあとのリカが、会社でわざと本を積み重ねて、机の廻りに壁をつくる場面があります。そんな話も思い浮かべました。
変なたとえ話をしましたが、確かに冨田さんのような事例を見ると、ストーカーは監禁せよ、という主張に真理が見えてきます。
でも、人が人を好きになるということは、一面において、純粋に素晴らしいことであり、
その思いを告げるのは、勇気の證明だとも言われます。
しかし、準備も何もない、慎重さをかいた本能だけの行為が、廻りに害を及ぼすことを思うと、
いったい、恋愛をすることは人にとって、是なのか非なのか、幸福なのか不幸の始まりなのか、といった疑問も生じるのです。
あるいは、恋とは、
1.極祕裡におこなうのが適切で
2.本丸を攻めるには二の丸、三の丸を攻略する必要があり(すなわち、異性の友人を通して打診する)
3.木の枝を隠すには、植林をして目立たなくするのが良くて(本命を糊塗するため、可愛い子には手あたり次第に好きだといいまくる)
4.それらのくだらないことで煩悶するのは不誠実であり、最初から何もしないのが一番なのだ
といったことも。
これらの煩悩、撞着は、要は、自分に男性的、あるいは人間としての魅力がない、それだけのことなのでしょう。
風俗の公営化、といった政策は、こうした迷いを起こさせぬようにする、
異性交渉の濫觴(らんしょう)、性意識に対する教化、といった側面もあると思われます。
あと、
5.ある特定の集団の中で一番綺麗な子だといった場合、それが即好きだということにつながるのか
ということにも頭を傾げます。
美的判断と感情の問題とは、別物ではありますまいか。
初期ゴー宣で、小林先生が自分のクラスは美人揃いだと吹聴したら、そうでもなかった、というのと似た話ではないのでしょうか。
また阿呆なことを書きました。今回のライジングテーマからはづれてしまって、ごめんなさい。
ただし、これは公と私の問題に、密接に結びついている話題でしょう。
自分はこうした場に記すのにも、かなり気をつけているつもりです。
あと、次回の道場も、應募しません。参加者が少ないのに、申しわけないです。ほかのかたがたには、すすんで應募・参加してほしいです。
それと、皇太子殿下の57歳のお誕生日、おめでたうございます・・・ぢゃないですね、もう57なのです。数へ年なら、還暦まであと3年なのですから。
先生がたの活動は、今後のことも見据ゑた上で、この世でかけがいのないものだと思ひます。