明治期に伊藤博文が考えていた天皇像は行政=藩閥政府の意思は天皇の意思であり帝国議会の演説でも天皇の権威を使っていました。 元々は藩閥政府の元老は武士階級でも身分の低い人たちだし明治天皇の権威を使わないと運営できなかったんですな。 しかし、現代でも政府の意思=天皇の意思にして異論を封じめるやり方が復活するとはねえ。 過去にも蘇我、藤原、院政でもさんざん使われていたわけだし錦の御旗を使えば異論を封殺できると時の権力者は分かっているのが恐ろしい。 明治までは元老と天皇は一連托生で問題はなかったのですが、昭和になると昭和天皇は自由主義者で英米協調派なのに政府は全体主義グループ支持という矛盾した体制になりました。政府の意思=天皇の意思と当時の政府を押し通した為に陛下の勅語、詔書でも政府の意思の代弁者という形になったわけです。それで敗戦により天皇の戦争責任という問題まで浮上してきたわけですから、政府の意思=天皇の意思というのは極めて危険であるというのは歴史が証明しています。 政府の意思と天皇の意思を別個に考えて、譲位や皇位継承問題は天皇の専権事項にするのがベストだと思います。皇室のことは家長である天皇が主導する。戦前の制度づくりにおいても天皇の意思よりも伊藤博文などの藩閥政府の意思が尊重され皇室制度が作られ、天皇の名において公布されたわけで 現代の政府も同じことをやることは藩閥政府の再現とマスコミは批判しないとダメですね。
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小林よしのりチャンネル
(ID:19723146)
明治期に伊藤博文が考えていた天皇像は行政=藩閥政府の意思は天皇の意思であり帝国議会の演説でも天皇の権威を使っていました。
元々は藩閥政府の元老は武士階級でも身分の低い人たちだし明治天皇の権威を使わないと運営できなかったんですな。
しかし、現代でも政府の意思=天皇の意思にして異論を封じめるやり方が復活するとはねえ。
過去にも蘇我、藤原、院政でもさんざん使われていたわけだし錦の御旗を使えば異論を封殺できると時の権力者は分かっているのが恐ろしい。
明治までは元老と天皇は一連托生で問題はなかったのですが、昭和になると昭和天皇は自由主義者で英米協調派なのに政府は全体主義グループ支持という矛盾した体制になりました。政府の意思=天皇の意思と当時の政府を押し通した為に陛下の勅語、詔書でも政府の意思の代弁者という形になったわけです。それで敗戦により天皇の戦争責任という問題まで浮上してきたわけですから、政府の意思=天皇の意思というのは極めて危険であるというのは歴史が証明しています。
政府の意思と天皇の意思を別個に考えて、譲位や皇位継承問題は天皇の専権事項にするのがベストだと思います。皇室のことは家長である天皇が主導する。戦前の制度づくりにおいても天皇の意思よりも伊藤博文などの藩閥政府の意思が尊重され皇室制度が作られ、天皇の名において公布されたわけで
現代の政府も同じことをやることは藩閥政府の再現とマスコミは批判しないとダメですね。