叢叡世 のコメント

テレビは相変わらず「命は大事」という紋切り型のフレーズしか言わないですね。

命が大事、平和が一番、この言葉が如何に陳腐で劣化した物言いとなってしまっているかそろそろ自覚すべきではないのかと思ってしまいます。
元少年Aが起こした事件に絡んで「なぜ人は殺してはいけないのか」と20年前から言われているのに誰も答えられなないままですね。

新戦争論1で「そろそろ戦争やりたがっているんじゃないのか」という言葉が思い起こされます。

人殺しはどこでも起こっていますよね。

和歌山での毒物カレー事件とか、秋葉原で行われた虐殺、友人を殺害して解体したり、祖父の首絞めたり、尽きることのない親殺し、子殺し、ストーカーによる殺人、外国では爆弾テロ、ヤケクソ起こした犯人がバスに乗って銃乱射したり、七歳のオーストラリア人のクソガキがシリア人兵士の首を掲げて嬉々としていたり、ある日突然みんなが殺人鬼に変貌するわけでしょう。

障碍者だって同じ命だと言われていても、出生前検診で障碍が見つかったら中絶する人が後を絶たないじゃないですか。
障碍者団体がそれを止めさせるようにしても一向に減る気配なんてありません。

みんながそう思っていても実際は人殺しを何処かで認めて、肯定してしまっている。

命に優劣、商品価値があることをみんな考えてしまっている。

自分達の変わらぬ生活スタイルを崩したくないから誰かに面倒なことを押し付ける。

押し付けられた人は割を食う。

生活スタイルを崩したくない、だから負担となる障碍者を殺そうという話になるんじゃないんですか?

障碍者施設があることって、自分達の生活スタイルが崩れるから施設に預けるというか、押し付けるんじゃないんですか?

虐殺犯と、どう違いますか?

狂人の発想でしょうけれど、小さな発想がその狂人と地続きではないのでしょうか。

五十歩百歩ではないのかと。

ブラックジャックで無頭症の子が生まれて「そんなカエルみたいな子がこれから先どうやって生きていけるというのだ」「殺せーっ!」という描写があったんです。
モグリとはいえ、こんなことを言わせてしまう手塚治虫の考え方が過ってしまってますよね。
一体誰が手塚のことを生命主義者とか言ったんでしょうかね。

健常者中心の社会でそのシステムを崩されたくないから排除しようと『誰もが』考えているんじゃないんですか。

自分はそう思ってなくとも「システムに全く変化が来していなければ」「人はいとも容易く壊れる」んじゃなんでしょうか?

No.51 102ヶ月前

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