こいら のコメント

ネットでの承認欲求の話題で盛り上がってますね。
私は音楽をやるので、その現場で承認されればいいのかな、と思ってます。
それからツイッターもブログも、プロモーションの一環としてやってる感じです。
ブログはそれほどアクセスがある訳ではなく、ツイッターも基本的にライブの告知中心です。
ネット以外に他人に承認される現場がある人は、ネットであえて自分を晒す必要もないのかな、とも思いながら、ブログもツイッターも何となく続けてますが。
おそらく、物を消費することよりも承認欲求を満たすことが、一種の流行りみたいなものなのかもしれません。ただ例えば自分の知らない第三者に自分の実存を安易に晒すことは、リスクもあると思うのですが。
例えばレストランの支配人の人がお客さんへのサービスの一環として自分の身辺雑記をブログなりツイッターなりにupすることはありかもしれませんが、生産の現場がない人間が自分の私生活を安易にネット上に晒すのは何かまずいと思います。
結局、現場があるかないかという問題なのかもしれませんが、例えば現場があってもネット上に私生活を晒していない人の方がまだこの国には多いと思われるので、ネットの承認欲求と生身のそれとは全く別物なのかもしれませんね。

少し踏み込んだ話ですが、例えば精神を病むなどして一般の生産の現場をやむなく持てない人間が、何らかの表現の手段としてブログを書いてアクセスを稼いでアフィリエイトで収入を得るシステムは、理に適ったやり方なのでしょうか?
とあるプロブロガーが「生産の現場から追われた人間が社会保障以外の食べていく手段として、ネットで自分の実存を晒してお金を稼ぐという方法もあってもいいのではないのか」と言っていて違和感を感じたのですが。
それってある意味、精神的な売春をやれと推奨してる気がします。己の心の闇と実社会と折り合いを安易にネットという手段でつけることは、必ず何某かの破綻を生むと思ってますが。
正直な話、いわゆるブロガーと呼ばれる方々が自分の病気の話をさも個性があるようにネットで嬉々として書き綴ってるのを見てると嫌悪感しかないのです。「誰もあんたの私生活なんか気にしてないよ」と毒づきたくなります。
下手なミュージシャンなんかにもそういう人はいます。表現をやるならたとえネット上であろうとも自意識と社会の折り合いに意識的じゃないとダメだし、優れた表現者は常に葛藤で苦しみながら自己の実存を(ある意味恥ずかしながら控えめに)世に出してるのです。
安易に自分の病んでる部分を何の葛藤もなしにネットで吐き出して表現することへの違和感を、私は拭うことができないのですが…
そう言いつつもネットというフォーマットから安易に降りれない自分もいて、少し歯がゆい気もします。

No.43 102ヶ月前

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