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山田玲司のヤングサンデー 第69号 2016/2/1

コミケの女マフィアとは?


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僕の周りの「野口さん」

僕は高校の時「創作研究部」というクラブに入っていました。
いわゆる「漫研」なんだけど、アニメも小説も扱うつもりで作った部活で、まあ「オタクの吹き溜まり」だった場所です。(NGという僕の漫画にその場所が出てきます)

そこにいたのが、強烈な闇を抱えた「女オタク」の人達でした。

80年代前半なので、「やおい」とか「オタク」みたいな言い方もあったんだけど、まだ、その存在は「地味な女」としてしか認識されてはいません。
彼女達が、いわいる「腐女子の祖先」というわけです。

その部活は女子の方がやや多くて、僕より上の学年の女の人は、ほぼ全員「オタク」でした。
そんなわけで、当時10代半ばの僕は腐女子の祖先達に囲まれて放課後を過ごしていたわけです。

今回の放送で、僕がBLの話についていけたのは、その当時「本物の腐女子」に何だかんだと絡まれていたからなのです。
当時の部室には白泉社の「LALA」はもちろん、耽美系BL雑誌の「JUNE」なんかが沢山転がっていて、女の先輩達は「本田恭章」とか「摩利と新吾」とかに夢中でした。

彼女達はクラスでは「ほぼいない存在」として、息を潜めてやりすごしていたらしく、自分の居場所を「オタクの集まり」に見つけた人達だったわけです。
どんな感じの人達だったかというと「ちびまる子ちゃん」に出てくる、お笑いオタクの「野口さん」みたいな人ばっかりです。
プライドが高く、目を合わせないで、低い声で「ふふふ」と笑うヤバイ人達です。

今思えば「サブカル女子」の祖先で、「ビックリハウス」と初期の「宝島」と「ユリイカ」の間で、総ての「愚民ども(リア充系)」を心の底であざ笑っていた人達です。
この渦の中から(黎明期は)清水ミチコ、野沢直子、山田花子(漫画家の)、岡崎京子、安野モヨコ、よしながふみ、羽海野チカなどのスターを生んでいくわけで、その時期の女オタクはその「高すぎるプライド」を持て余しながら、革命の時を待っていたんですね。

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「好きにさせてもらいます」宣言

僕の方はというと、以前話した通り「全力漫画少年」で、遅れてきたトキワ荘チルドレンとして、プロになる事しか考えない後輩でした。
彼女達は「耽美系漫画のファン」で、「2次創作」が趣味という人達なので、同じ漫画を挟んでも、僕の世界と彼女達の世界は「相容れない」ものでした。

当時の僕は「何で自分の漫画を描かないで、人の漫画の話ばっかしてんだよ」とか「何でそんなに卑屈なんだよ」とか、いつも彼女達にイライラしてました。

そして、その「頑丈過ぎる心の防御壁」の中に繊細な心も垣間見えていたわけです。

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その後も僕は美大の漫研にいたので、多くの女性オタクの話を聞いていて、その心の闇の深さと、それが「明るくなければ人間じゃない」みたいに言われていた、リア充絶対主義のバカな世の中で、不当に虐げられていたのも見ていました。

そんな彼女の多くが、家では「いい子」を強いられていて、「性愛は悪」みたいな事を言われ、ギャルにもなりたくないし、完全に逃げ道がない状態にいたのだと思うわけです。
実際にそういう苦しい過去を話してくれた「自称腐女子」の後輩もいました。

キンゼイ・レポートで「女性にも性欲がある」と認められたのは、本当に近年の事で、それまでの女性は、自分にそういう欲望がある事を隠さなければならなかったし、そういう欲望を感じている自分を責めている人も多かったと聞きます。

そして、70年代の女性の権利開放の中で出てきた、1つのジャンルが「女性向けのゲイ作品」だったわけです。

その根底には「女はこうあるべき」という社会に対する「嫌です」という態度だったのではないかと思うんです。

「女にも欲望はあります」「こっちも人間です」「私は私です」「好きにさせてもらいます」

と、そんな思いを抱えた女達が、密かに「既存の大ヒット漫画」のキャラを無許可で使って、男と男の物語を描いて全国から集まったのが「コミケ」の本質の大きな要素なのです。

ここには「既存の倫理感」と「巨大出版社の支配」と「下らない教育」と「下らない恋愛感」に対する「お前らみんなくたばれ」という、攻撃意識があるのです。

「関係ねーよ、やっちゃおうぜ」という、まさにレジスタンス。抵抗運動だと思う。
もしくは「女マフィア」です。

もちろん、僕は漫画家で、自分の漫画を無許可で好きなように使ってビジネスをされると困る立場の側にいるので、それが「正しくないこと」だとはわかっているんだけど、それ以上に彼女達の「心の叫び」を感じてしまうのです。

それと同時に、おそろしく過激で、女達の「むき出しの欲望」から生まれた、常識はずれのコンテンツを見ると、どこか「痛快」でもあるのです。

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今回のゲストの「ニイマリコ」さんは、BLを初めから「ポルノ」だと言っていました。
「え?これ?ポルノだよ、だから?」という、これまた痛快な姿勢で、自分の欲望に正直に応えてくれる「大好きなBLの世界」を語ってくれていたわけです。

そんな彼女に対して、BLの文学性だの、その意義だの、フェミニズム問題だのを聞くのは「野暮」なのです。
男が好きなAV作品の「文学性」について聞かれるのと同じですからね。



漫画で救われていたら、社会は変わらないのか?

ところで、放送の後、こんなメールを頂きました。
興味深い話なので、1部抜粋してみます。

前回の放送を聞いて思い出したのが
BSマンガ夜話の一条ゆかり先生の「正しい恋愛のススメ」の回で
岡田さんが言っていた

「面白いなって思ったのはね。日本でフェミニズム運動
ってあるじゃないですか。
あれがあんまり盛り上がらない理由って、少女漫画とかね
レディースコミックがね
過激なことで、おまけに真っ当なことをちゃんと言っちゃってるから
わざわざ論を張る必要が無いってのがあるんじゃないのかな。
基本的にここまで自立して自由な女ってのを楽しそうに書いちゃったら
別にこうなるべきだって言うんじゃなくて
読んだ読者が楽しければ自分が強くなればいいんだ
基本的にこの漫画では女は強くなれ自立しろって書いてるから
この人だけじゃなくて槇村さとるもみんな書いてることでしょ
だったらフェミニズムの運動って日本で盛り上がらない」

BLなので多少ずれるかもしれませんが
漫画は作者と読者を救って強くする替わりに
社会を変革するエネルギーを減衰させるものって事なんでしょうか?。
エンターテイメントが罪ってこういうことなのかなあ。

(ボウズ 男性 37歳)


岡田さんの過去のコメントに絡めた「日本は漫画やアニメで救わてしまうから、社会を変えようという動きにならない?」という話です。

これは中々興味深い。
端的に言えば、以前から僕はコンテンツには「麻酔系」と「覚醒系」があって、その中間くらいの作品にも「麻酔より」のものと「覚醒より」のものがあると思っています。