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山田玲司のヤングサンデー 第68号 2016/1/25
「浮気をしない男は存在するの?」問題
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この最近、例のタレントさんのLINE流出の話で、世間が盛り上がっていたせいか、何回か「浮気をしない男っているんですか?」と言う質問をもらいました。
よく「1度浮気をした男は何度もそれを繰り返す」と言う人がいます。
長いこと女が犠牲になることが多かったこの国では、「結婚」とは、女が相手の男の「家の犠牲」になることでした。
「だめんず」は不幸な女?
少し前に、ろくでもない男に貢いでしまう女を「だめんず」と言って話題にしていた時代がありました。
今回「漫画の描き方講座」の中で、僕の小学生時代の話をしました。
「漫画家になる」と言い出すと、周囲の人は「頑張って」と言う人と「どうせ無理だよ」と言う人と、「何も言わない人」に分かれます。
男は全員浮気をする?
この最近、例のタレントさんのLINE流出の話で、世間が盛り上がっていたせいか、何回か「浮気をしない男っているんですか?」と言う質問をもらいました。
例のごとく僕は「愛の問題は当事者しかわからない」と思っているので、面白半分に人の恋愛を「ネタ」にして、消費するのは避けております。
そもそも自分だって、自慢できるような清廉潔白な生き方なんかできませんし、そんな人生は向いてませんし、反省はしますけど、誰にだって「どうにもならないこと」が起こるのが人生です。
それはともかく、「浮気をしない男」がいないのか?と言えば、います。かなりの数います。
でも、どんな男でも「できるなら他の女の人とも色々したい」という願望を、宿命的に抱えていて、こっちは遺伝子が仕組んだ本能なので、これまた「どうにもならない話」なのです。
なので、浮気をしない男、というのは、その多くが「したいけど、できない」か「したいけど、しない」という、自分の願望を抑えこんでいる人達です。
「社会的に間違っている」とか「普通は許されない」とか、社会的モラルの方向で、それを抑えるのは難しいけど、パートナーが「この人は裏切れないな」と思わせてくれる人ならば、それを我慢できる男もいるのです。
浮気をさせない女とは?
よく「1度浮気をした男は何度もそれを繰り返す」と言う人がいます。
浮気をするタイプの人間は「そういう人間」なので、反省してもまたやる、というわけです。
実はこれについては、また人それぞれで、死ぬまで浮気が止まらない人もいれば、ある時期でピタっと浮気が止まる人もいます。
「女が男に甘いから浮気されるんだ」「もっと厳しく男を管理しろ」と言う人もいますが、これで防止できるような男は、そもそも浮気をしません。
厳しく管理して、やたらと尋問して、居心地の悪い環境を作れば作るほど、外の女に安らぎを求めてしまうのが男なのです。
厳しくすればするほど、浮気相手の女と彼の「共通の敵」になるだけなのです。
確かに恋愛事は人それぞれではあるし、「する」も「しない」もその状況で違うのですけど、男にとって「浮気できない気持ち」にさせる女はいます。
これは大きくまとめると「与えてくれた女」です。
自分を信じて、応援してくれた女が「飲み会、楽しんできてね」とか言ってくれると、男ってのは中々浮気に踏み切れないものなんです。
「信じてくれた恩に報いらねば」なんて心持ちが生まれてしまうのです。(まともな男なら)
逆に、しつこく行動を報告させて、スマホやパソコンをチェックしてくる女には、厳重なセキュリテキーとアリバイを用意してでも、他の女の所に行きたくなるものなのです。
犠牲にならない女とは?
長いこと女が犠牲になることが多かったこの国では、「結婚」とは、女が相手の男の「家の犠牲」になることでした。
そもそも女偏に家と書いて「嫁」なのです。
なので、戦後の女達は、なるべく自分が「犠牲」にならないように、(安定した)できるだけ多くの収入と、家事育児への協力をしてくれる理解のある男を探そうとしてきました。
いわゆる「総合的な玉の輿」をゴールとしてきたのです。
こういう空気の社会で育った女の子は、男を選ぶ時には、自分の身体(sex)と引き換えに、「どれだけのものを与えてくれるか?」という審査(勝負)を続けるようになるわけです。
「可愛くする」のは、男から「与えてもらうため」だったのです。
僕が育ったバブル時代は、そういう意識がピークに達していた時代でした。
ところが、時代が変わり、終わらない不景気に苦しむ男たちは、女に対して容易に「与える」ことができなくなってきたのです。
「玉の輿」にさせられる男が激減して、女達はそのわずかなパイを奪い合うか、自分が経済的自立をする事で、男の財布をあてにする不安な人生から開放されようとしているわけです。
そんな時代の境目に、意識だけは昔の「ねえ、私に何してくれるの?」という、「与えて女」のままでは、男の選択肢は少なくなってしまいます。
「だめんず」は不幸な女?
少し前に、ろくでもない男に貢いでしまう女を「だめんず」と言って話題にしていた時代がありました。
当時の価値観ではまだまだ「少しでも玉の輿に近い結婚」がゴールで「女を捧げて、何も与えられないなんてバカな女よね」だったのだと思う。
だめんず・うぉ~か~の作者のくらたまさんとは飲み仲間なんだけど、そんな「ダメ男に貢ぐバカな女達」は実は幸せだったんじゃないか、なんて話になったことがある。
自分のことより目の前の男に尽くしてしまう女は、他人からは不幸に見えても、そもそもが「自分が好きでやっている」のだ。
世間がどう言おうと、自分の人生を自分で決めているわけです。
そして、何より「自分が与える側」にいる。
「与えて側」の人生は、相手次第の人生なので、常に不安を抱えているけど、「与える側」の人生ってのは「自分が主役」なんで、嫌なら止められるわけです。
もちろん「薄情な男」もいるので、相手に見返りなんかを期待すると不幸は始まります。
とはいえ、この「与える側」っていう生き方は、案外「幸福度」が高いです。
そうです。おまけにこの「恩」を与えてくれる女を裏切るのは難しいので、こういう人は愛されるのです。(金銭的な問題は別ですけどね)
「描く側」の幸福とは?
今回「漫画の描き方講座」の中で、僕の小学生時代の話をしました。
「面白い漫画を読んだから、すぐに自分が漫画を描く側になって、みんなに喜んでもらいたくなった。という話です。
これは、偉大な漫画家の先生達が描いてくれた漫画で、沢山のものを「与えてもらった」から、今度は自分が「与える側」になりたいと思った、という話です。
これもまた「恩に報いる」という事でもあって、先代の人達に対する「ありがとう」の気持ちです。
「先輩、今度は俺がやります!」っていう感じで、これまた(偉そうで)いい。
努力が実って、読者の人に何かを与える事ができると、読者という見ず知らずの人に「ありがとう」と言ってもらることがある。
やっぱり漫画家は最高だ。
「奪う人」の気持ち
「漫画家になる」と言い出すと、周囲の人は「頑張って」と言う人と「どうせ無理だよ」と言う人と、「何も言わない人」に分かれます。
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