頭文字J のコメント

若い頃に「自分の意思や意見が通るわけではない」 という経験を、現代(平成生まれ)の若者達は、どこかしらなにかしらの生育段階(セクション)で、んー、通過儀礼のごとく、してしまっている。
という事実にも向き合ってみたい。
そういう環境のなかでも、飢えたり充たされたり、助けられたり助けたり。四方山(よもやま)荒浪(あらなみ)乗り越えて、知らないあいだに令和ですよ(笑)。
(「自分にとっての平成ってなんだったんだろう」とか「え、(他の人たちにとって)どうだったんだろう、平成…(笑)」みたいなことを、考えられるときに考えているので、割りとこれが楽しい。だって昭和生まれは絶対にできないことだから。64年間もあるし。吾輩にとっての平成は、人文科学的にはとても恵まれた経験のできた時代だった!しあわせ♪自然科学的にはテレビの向こうでの不幸を直接感覚で避けまくってたら「孤独の中での平穏」しか残らなかった。社会科学的には「椅子取りゲームやだなぁ」と思いながら墜落していく状態だった。自分勝手な平成時代の総括!てへ♪)
なにに飢えてた?と問われて、「承認と実感」でしょ?と指摘されても、んー、合ってるような、もうちょっと違うものにも飢えてたかもしれない、とも思っちゃうし、なんか、「審議させてくれ」って言いたくなっちゃう感覚が残る。
なぜかというと、それによって、いろんな快感も味わい尽くせていたような心地がしているから。
「新しい快感」を手に入れることができる、というのも、若者の特権(特別権限)のような予感(予知感覚)がする。
平成が手に入れた快感は「♪♪」だった。
(みたいなことをピシャリと書いたり言ったりできたら、凄まじいことになりそう♪)
江戸が手に入れた快感は「☆☆」だった。
明治が手に入れた快感は「△△」だった。
大正が手に入れた快感は「○○」だった。
昭和が手に入れた快感は「□□」だった。
みたいなことも、研究できそう。楽しそう!
若者は何にエクスタシー(快感)を受け取ってきたか。歴史的に。
大日本帝国→日本国、になったときには、なにを喋っても命を奪われずに済んだ。このことによって、「自分の意見を言う快感」を得てきた。「自分の意思を持つ快感」もあったけど、これは戦前からあったと思う。
「自分の意見を言う快感」の末路は、安保闘争とかだった(←ごめん疲れてるからテキトーに書いちゃってる。微調整は頼んだ)。
時代が進むと「合わせる快感」というのもあったかもしれない。ひとに合わせたり、理想に合わせたり。
こんな感じで、快感だけを辿っていくと、いろんなことがわかりそう。
そして、「令和が手に入れた快感は…」みたいな話にも及ぶことができるから、有意義に過ごせそう。
承認に飢えたときは「自分は誰かを承認できているのか」と考えればよいし、実感に飢えたときは「過去に浸る」か「未来に移る」かすればよいし。
お読みいただきまして、ありがとうございます!またね♪

No.4 62ヶ月前

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