「無料のポルノ」が若い世代を「賢者」にしたのか?
えーー。今週はですね。
今回のヤンサンは珍しく「最近のジャンプ漫画」の話で盛り上がりまして。
それはいいんですが、後半でおっくんが「最近の若い人達が落ち着いているのは、ネットでアダルトコンテンツをかんたんに観られるからじゃないか」なんて言ってましてね・・・
彼は「自分たちの若い頃は『エロいもの』を手に入れるのは大変だった」と言うわけです。
エロ本を買うのも、AVを借りるのも、そして、そんな「お宝」を味わう場所すら確保するのは大変だった、と。
そんな風に育った世代は、性に対して余裕はないし、その他「多くの欲望」も満たされてなかったから、いつまでも落ち着かない、というわけです。
なるほど、ちょっとおもしろい。
「無料のポルノは若者を賢者にする」というのは、ある程度はあり得る。
「若い男」ってのは「女の裸に飢えた猿」である。
それはもう「女の裸しか考えていない季節」を生きている。
それが簡単に手に入らない環境は、男たちに試行錯誤と勇気を強いるので、自然と「成長」もする。
「そういう事が大切なのだ」なんて多くの「昔の人達」は言ってたし、僕もそう思って生きてきた。
そもそも生物が、男女のない「無性生殖」から、男女に別れた「有性生殖」に別れた理由は「そこにある」と思うからだ。
なので「簡単に手に入る女の裸」が溢れているのは、男の成長を押し留めてしまうし、繁殖のモチベーションも消えていくだろう。
ああ・・人類は滅びるのだ・・・・
なんて・・
そんな感じの流れが「定番」だったと思うわけです。
【昭和のグルメおじさん】
ちょっと思い出したのが「昭和のグルメおじさん」でした。
バブルの頃にものすごい「グルメブーム」というのがあって、日本中が「美食」に走った時代があった。
当時そのブームに熱狂していたのは、主に「戦後の貧しい時代」を生きていた人達だった。
「火垂るの墓」世代から、戦後すぐに生まれた「団塊世代」までの人達は、とにかく「食べるもの」に不自由していた。
「バナナが憧れの食べ物だった」なんて話が定番だった。
戦争の死者のほとんどが「餓死」だったのだから、その壮絶さは理解できるし、その反動で「食べ物」に執着する人達が増えたのも納得できる。
とはいえ。
その後、豊かさの恩恵の中で育ててもらった僕は、感謝もするし、同情もするけれど、戦後世代の「グルメブーム」は、とにかく「醜く」見えた。
宮崎駿の「千と千尋の神隠し」の冒頭で「両親が豚になる」というシーンがある。
豚になった両親が、みっともなく中華料理をがっつくのを千尋はドン引きしながら見ているシーンじゃなかったかと思うけど、僕が「昭和のグルメおじさん達」に感じていたのはそんな気分だった。
「戦後の飢餓」と「エロ本獲得の困難」を並べるのも、いささか乱暴かとは思うけど、「食」と「性」はどちらも人間の本能的欲求に属するわけです。
子供の頃に「飢餓感」を感じなかったおかげで僕は「カニを食うなら、北海道のずわい蟹!」みたいには思わないし、基本的には「カニカマ」でもいいと思っている。
ところが駅前の旅行業者のパンフには「ずわい蟹食べ放題」「ウニ祭」「大間のマグロ祭」みたいなのがセットになった「飽食ツアー」が溢れている。
こういうのを冷ややかに見る感じで、若い世代は「キャバクラだ風俗だ」とすぐに言い出す中年の先輩達を見ているのかもしれない。
そういえば、昔のアシスタント達には風俗好きの連中が多かった。
おまけに現実の世界で女を知ると「100人達斬り」みたいなバカな武勇伝を作りたがって「変な病気」もらってたような連中もいましたねーー。(彼らは今40代)
若い頃の「女に対する飢餓感」が、過剰なナンパや風俗通いに繋がるなら、子供の頃から当たり前に「無料ポルノ」がある世界の方がマシなのかもしれない。
いや、この「子供の頃から」という部分に関してはまた別の話になるので、それはまたいつか。
(ちなみに僕も北海道の蟹もウニもマグロも大好きです)
【何に飢えているのか?】
この乱暴な論理からすると「現実のSEXはずわい蟹」で「AVはカニカマ」か?
なんて話になりそうだけど、そこはもう「それぞれの人生」。
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コメント
いつも週末は
ヤンサンで癒されているのに
先週末は用事があって
配信を見ることができなくて、
心身ともに疲れきっていたところに こんなステキな言葉が目に飛び込んで来ちゃったら号泣ですわ。
ヤンサン好きで良かった。
今週も頑張ります。
「あれができなかったぁ…」となったあとで、「のちにこじらせていく」みたいなことは、ある(笑)。
幼少期、「マニュキア塗りてぇ!」てなったとき、すぐにおねだりして自分のマニュキアを買って貰うことができて、指に塗ることができた!そして「へぇ、除光液なんてものがあって、それを塗るとマニュキア取れるのかぁ。お!スースーするぅ!」みたいな知識なども蓄えることがでけたわけです(笑)。いまとなっては、全然マニュキア塗りたいと思わないし、実際、塗らずに済んでいる。
けれども。
時を同じくしている幼少期。デパートで偶然みかけた、「めっちゃ表紙のカッコいい本」があって、「あれ、すっごくほしい!」とおねだりをしたら、(親が店員さんに「これなんですか」と聞きやがりまして)結果として、手に入れられないまま、その書籍のタイトルも解らず、現在に至っています。
のちに察したのは、「あれは同人誌という名の薄い本」だった、ということ(当時の幼少期は「同人誌」も「薄い本」も吾輩の辞書にはなかった)。店員さんは親に対して「あれは18歳以上しか見れないものが含まれています」と説明していたこと(ばっちり聞いていた!)。
そして、現在のワレワレは(笑)。
あらゆるネット通販を駆使して、あの店舗にしかない「限定品付きの新刊」を求めて、予約しては払って届いて、予約しては払って届いて、という営みを繰り返しています。いまも!
タイトルもわからないし、作者もわからないけど、あのときにデパートで見た、薄い本は「すごくカッコよかった」のです。しかも、手にまで取りました。
(つか、18禁なら、店舗の入り口に置くなよ!ふつうにバーゲンセールみたいに、入り口の棚にいろんな種類並んでおったわぃ!ホームセンターに置いてあるCDみたいな状態で。)
お読みいただきまして、ありがとうございます!
若い頃に「自分の意思や意見が通るわけではない」 という経験を、現代(平成生まれ)の若者達は、どこかしらなにかしらの生育段階(セクション)で、んー、通過儀礼のごとく、してしまっている。
という事実にも向き合ってみたい。
そういう環境のなかでも、飢えたり充たされたり、助けられたり助けたり。四方山(よもやま)荒浪(あらなみ)乗り越えて、知らないあいだに令和ですよ(笑)。
(「自分にとっての平成ってなんだったんだろう」とか「え、(他の人たちにとって)どうだったんだろう、平成…(笑)」みたいなことを、考えられるときに考えているので、割りとこれが楽しい。だって昭和生まれは絶対にできないことだから。64年間もあるし。吾輩にとっての平成は、人文科学的にはとても恵まれた経験のできた時代だった!しあわせ♪自然科学的にはテレビの向こうでの不幸を直接感覚で避けまくってたら「孤独の中での平穏」しか残らなかった。社会科学的には「椅子取りゲームやだなぁ」と思いながら墜落していく状態だった。自分勝手な平成時代の総括!てへ♪)
なにに飢えてた?と問われて、「承認と実感」でしょ?と指摘されても、んー、合ってるような、もうちょっと違うものにも飢えてたかもしれない、とも思っちゃうし、なんか、「審議させてくれ」って言いたくなっちゃう感覚が残る。
なぜかというと、それによって、いろんな快感も味わい尽くせていたような心地がしているから。
「新しい快感」を手に入れることができる、というのも、若者の特権(特別権限)のような予感(予知感覚)がする。
平成が手に入れた快感は「♪♪」だった。
(みたいなことをピシャリと書いたり言ったりできたら、凄まじいことになりそう♪)
江戸が手に入れた快感は「☆☆」だった。
明治が手に入れた快感は「△△」だった。
大正が手に入れた快感は「○○」だった。
昭和が手に入れた快感は「□□」だった。
みたいなことも、研究できそう。楽しそう!
若者は何にエクスタシー(快感)を受け取ってきたか。歴史的に。
大日本帝国→日本国、になったときには、なにを喋っても命を奪われずに済んだ。このことによって、「自分の意見を言う快感」を得てきた。「自分の意思を持つ快感」もあったけど、これは戦前からあったと思う。
「自分の意見を言う快感」の末路は、安保闘争とかだった(←ごめん疲れてるからテキトーに書いちゃってる。微調整は頼んだ)。
時代が進むと「合わせる快感」というのもあったかもしれない。ひとに合わせたり、理想に合わせたり。
こんな感じで、快感だけを辿っていくと、いろんなことがわかりそう。
そして、「令和が手に入れた快感は…」みたいな話にも及ぶことができるから、有意義に過ごせそう。
承認に飢えたときは「自分は誰かを承認できているのか」と考えればよいし、実感に飢えたときは「過去に浸る」か「未来に移る」かすればよいし。
お読みいただきまして、ありがとうございます!またね♪