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山田玲司のヤングサンデー 第192号 2018/6/25

自分の中にいる「誰か」を見えるようにする(寺山修司と山田玲司)

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人は1人でいる時は、ほとんどの場合「自分」と話している。


中には「1日のほとんどを何も考えないで生きています」という強者もいるかもしれないけれど、人間てのは誰かの話を聞いている時でさえ「自分」と話している生き物だと思う。


それは「自分A」と「自分B」の対話である場合もあるし、「あの時の自分」とか「あの時の風景」

「あの時の後悔」などの「自分アーカイブ」と対話している事もある。


「何であいつばっかりいい思いしてんだろう、自分はこんなに頑張ってるのに・・」

なんていう「問い」にも、答えているのはやはり「自分」だ。

1人でいるのに疲れるのはこういう状態ばかりが続いてしまう時だ。


そのうちに沢山の「自分」が溢れて収集つかなくなってきて、何やら「ブツブツ」言い出すヤバい感じになるので、そうなる前に「1人もほどほど」にして、誰かとバカ話でもした方がいい。



そんな僕も、心の中の「大量の自分」がうるさくて仕方ない日が多い。


性格的に「考えないで生きる」のは無理なので、徹底的に自分会議になる。それはもう延々と続く。

僕が待ち合わせの場所に1人で行くと、時々「大丈夫ですか?」「居ますか?」みたいに言われる。


それは直前まで「自分会議」が白熱していて、意識が「向こう」に行ってしまってるからなのだ。

その究極が「物語を生み出す」という自分会議で、漫画のネームを作っている時はもはや「こっち」にはいないのだ。

(その状態でヤンサンの本番になってしまって事故が起きたのはご存知の通りです)



僕の「自分会議」の議題は、難しいものばかりではない。


今日の朝だと

「人はなぜサッカーに夢中になるのか?」

「そんな中でサッカーを頑なに拒絶する人がいるのはなぜか?」

「恐ろしく人口の少ない国がサッカー強豪国になれたのはなぜか?」

「カエルが鳴いていると嬉しいのはなぜか?」

「サッカーの消えた世界とカエルの消えた世界では、どちらが先に滅びるか?」

みたいな事を考えていた。



その都度浮かんだ疑問に対して徹底的に考えるので、その時点での「暫定的な答え」は持っている。

なので「アウトプット」はしやすい。


このメルマガもヤンサンの放送も、毎週やっていてネタが付きないのは「湧いてくる疑問」と「その時点の答え」が常にあるからなのだ。



【寺山修司の自分劇場】