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山田玲司のヤングサンデー 第87号 2016/6/6

山に籠ってもいい時とは?

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僕もしばしば人間が嫌いになる。
でも人間も色々いるので、中々「人間の全部」を嫌いにはなれない。
それでも、やろうとしている事がうまくいかず、滅入っている時には「人間なんかみんな死ね」みたいになることもあった。

今回ゲストに来てくれた森沢明夫君も、1時期「人間は全員滅びればいいと思っていた」と言っていたけど、この気持ちはわかる。

こういうタイプは(おっくんも含めて)他者(人間)に対して「期待」をしている人達だろう。
初めから人間なんかどうでもいい、と思っていたら、わざわざ「人間なんか大嫌いだ」とか言い出さないはずだ。

人間は本当はいいものだ。君は本当はいいヤツだ。なんて思っている子供がそんな人間(他者)にがっかりさせられることが多いと、「もう人間なんか大嫌いだ」となる。
そんな人達の中に「誰もいない場所」を求めて旅に出てしまう、というタイプの人がいて、それが森沢君やおっくんのような人達なのじゃないかと思う。

ある意味1番純粋で「人間が好きなタイプ」なのかもしれない。

そんな「期待していた他者(人間)に失望させられた旅人」が、田舎の名も無き偉人たちに出会い、優しさに触れ、「人間って捨てたものじゃない」と思って小説を描いているのが森沢明夫という人だと思う。



人間と離れたほうがいい時とは?

人が人と一緒にいられなくなる理由はいくつもあるけれど、大きいのは「自分を勝手に評価される」時だと思う。
挑戦も努力もした事があるし、泣いたことも沢山あるし、様々な苦悩や葛藤を抱えてここまで生きてきたのに、見た目だけで「キモい」とか1瞬で全否定されたりすることがあるのが人生だ。

それぞれが自分のことしか考えていない上に、単純な価値観で人を評価して「あいつはダメ」とか「終わってる」とかやっている集団は多い。

「学校」という場もそうだし、「女子」の世界も「業界」や「世間(メディア)」なんかも同じようなものだ。

森沢君が言っていた「誰にもそれまで生きてきた大切な時間や思いがある」という発想はそこには見られない。
「綺麗か?」「スタイルがいいか?」「若いか?」「金持ちか?」などの表面的で底の浅い基準でその人は評価される。

僕はその全てを否定はしないけれど、こういう空気が支配する様な「場」に居なければならない時には心を閉じたほうがいいと思っている。

そういう浅い基準で人を勝手に評価仕分けしてくる人は、同時に自分もその評価の世界から苦しめられる。
「おばさんのくせに」と言って笑っている若者にも必ずその若さを失う時が来る。
「見た目のよさ」だけで人を裁いてきた人にも、加齢とともに逃げられない「容姿の衰え」はやってくる。
彼らはそれと一生戦わなければならないのだから、見た目至上主義に洗脳された「気の毒な患者さん」とも言えるのだ。

もちろん「若さ」や「容姿」や「経済力」にも価値はある。
けれど、問題は「それ」だけで、勝手に人を評価して傷つけることだと思う。

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