こんばんは。暑い中のコミケ、大変お疲れ様でした。唇が切れて笑えなくなることありますよね。深く切れてしまった時にはリップ塗るのも痛いので、ヴァセリン死ぬほど塗って放置しています。 テーセウスの船、楽しいですよね!元ネタがギリシャ神話だってだけで、なんとなく浮かれてしまいます。アキレスと亀、胡蝶の夢、哲学の話って洒落ているなあと、哲学をやっている人を眺めては思っていたことを思い出しました。 現実的な話をしてみるとしたら、A対B=8対2〜6対4ってところかな、と思います。幅が広すぎるのはよく分からないからです^^; 大脳は人間にとって最も重要な臓器の内の一つですから、Bさんの身体に移植されたAさんの脳が、(なんの故障もなくBさんの身体に移植されたと仮定して)自分をAだと認識することは、まあ、OKとします。麻酔から覚めて自分をAじゃないと言い出したら、それは多分術中に何かしらの失敗があったのではないでしょうか。 ではベッドに横たわる謎の人間Xは完全なAなのかと言われると、おそらくBの成分も多少は混じるのではないかと思います。 トントンさんの記事に、臓器同士が脳の仲介を経ずに情報をやり取りする、エクソソームのお話がありましたが(エクソソームの名称はトントンさんのお話で初めて知りましたありがとうございます)、我々の身体は脳だけが情報の発信と受信を行って身体を一元的に管理している訳ではなく、身体の中に内蔵されたあらゆる臓器や神経、細胞の一つに至るまでが、彼らにとっての世界の維持のために「ここが傷んでるから治して」「もう成長しなくていいから死んで」「脂を貯めろ!」的な情報をやりとりしています。 私達が「私」と認識しているものがそれを把握しきれていないのは、知る必要がないからです。脳を介さなくても話ができるんだから、脳さんは知らなくていい。それだけ。「私」は身体をコントロールする大事な司令塔の一つですが、唯一にして神聖な、犯すべからざる細胞達の神という訳ではありません。まあ、あればすごく便利なアプリ、ってところでしょうかね。私が「私」と認識している範囲の「私」は。脳のさらに奥深くには、もっと大事なものが隠れ潜んでいるはずですが、ここでは関係ない。 移植ものでよく聞く話に「他人の心臓等を移植したら持ち主の好みや体質が感染った」というものがありますが、今回のお話を哲学とは関係なく考えるなら、この話がヒントになるかも知れないなあ、と考えます。 この話にどれほどの信憑性があるか分かりませんが、各臓器や細胞が、それまで生きてきたように変わらず情報をやり取りする、というのは至極当然のことでしょうし、むしろ身体の中に違う臓器(脳)が一つ、入ったからといって、他の全ての臓器が新しい御主人が来たからと、これまでの生き方をすぐに変えられる訳がない。 以前と同様にナトリウムを消費しやすい身体だったら変わらず塩辛いものを摂ってくれと訴えるでしょうし、皮膚の上に特定の常在菌が多い体質だったら、それに対して特定の反応をし続けるでしょう。 特に心臓の細胞は長生きで、死ぬ時になっても、確か半分くらいの細胞しか入れ替わらないはずですから、今までの生き方を知らない細胞が新しく新陳代謝で入れ替わってこれからはAの心臓として生きていく、みたいなことはないはずです。脳に至っては一生そのまんまですが。 それに、そもそもBの身体はAの身体がどのように生きていたのか知るはずもありませんから、Aのような身体になれと言っても無理な話です。身体側から見た手術直後の人物Xの状態はこんな感じではないでしょうか。 では、脳から見た人物Xはどんなもんかと考えると……うわ怖、違和感満載でしょうね。 MACのOSでWindowsを動かす感じでしょうか、コップに手を伸ばしても、微妙に狙ったところに着地しない、ものを見ようと思っても、ぼやけて見えたり、モードが極彩色になってたり、匂いがやたらと気になったりと、新しい身体が提供してくれる様々な情報や操作の癖に慣れるまで、相当な忍耐を強いられそうです。精神的にくるだろうな、これ。現実世界でもキーボード変えただけで発狂しそうになる訳ですし。 術後、特に手術の直後はこう↑なると推測しますが、免疫の働きを上手く抑えて、脳が身体によく馴染むようになったら……うーん、どうなるんでしょうね。個人的には脳対身体=6対4くらいに落ち着くんじゃないかと思いますが、どれだけ癖の強い身体かにもよりそうですね。性別が変わったら相当変わってしまうでしょうし。テストステロンやオキシトシンの投与による性格の変化は結構凄くて、一部では薬として使用されているくらいですから。まあでも、一度くらいは性別を変えてみたいです。強い、壊れない身体。憧れるなあ。 もう随分長い話になってしまいました。疲れますから読まなくても大丈夫ですよ、と万が一読まれていた時のために書いておきます。所詮与太話なので。 さて、ここで頑張って哲学っぽい話をしたいと思います。でも「こうだ!」って言い切れる話じゃなくて「こうでしょうか?」って感じの、なんとも頼りない話になること請け合いです。間違っていたらすみません、と予防線を張って書いてみます。 ええっと、デカルトでしたか、「我思う、故に我在り」と言ったの。 全てのものって存在が疑われるけど、疑っている自分がいることだけは疑えないよねって話だったと思います。正直、疑ってしまいますが。 疑っているのは果たして自分の意思なのか、って聞かれると、それこそ疑わしいと思わざるを得ませんし、くられ先生も仰っていたと思いますが、人間の意思や気持ちなんか、化学物質で速攻変えられるので。化学物質が天然由来だったとしてもそれは同様です。 まあそれはさて置いて、デカルトの心身二元論でいけば、精神と身体は別のものですから、その説に依って考えれば人物XはAさん、ってことになるのかなあ。多分……きっと?なお、心身問題とやらはよく知りません。が、心身が合一したり相互に作用するっていうのは、これまでの細胞なんかの話からすればあって当然の話ではないかと思います。 これを縁起や無我っていう話にしていいのかどうか分かりませんが、私は「私」だと思っている私だけでなく、身体の中の様々な細胞や内臓、それとそれらが発する情報などの影響を受けながら「私」というものをうすらぼんやりと維持しているに過ぎないのかも知れませんね。それが大事なんですけれども。結論がデカルトじゃなくなってしまいましたが気にしないで下さい。 いやー……長々と乱文、大変失礼致しました。倫理のマンガ、面白いですよね!くられ先生の動画で紹介して頂いて面白そうだと思って買ったのですが、早く次巻が出ないかなあ。鬱先生が考えてらっしゃる動画の企画というのも楽しみです。Vシネ風味の動画、絶対面白いと思います。鬱先生の役どころはどんな感じになるのでしょうね。 最近、実写動画が出る度に鬱先生が痩せたかどうかが話題になっているような気がしてしまうのですが、痩せても太っても、どちらでも鬱先生は魅力的だと思います。痩せているなら格好良く見えるでしょうし、脂肪があっても個人的にはいいのではと思います。喧嘩でも遭難でも年を取るでもなんでも、脂肪がある人は結局強いので。マスコット的な可愛らしさ、という言葉にもとても納得しましたし、マイクラ人狼でもtrpgでも、能力の高さが目立つなあといつも感心しています。高い言語能力と共感力、周囲の状況を瞬時、もしくは事前に察知して臨機応変に振る舞う能力等々が高いのだろうなあ、すごいなあといつも思っています。 ところで、鬱先生をお呼びする時は鬱先生でよろしいのしでょうか。鬱さん、ではなんだか馴れ馴れしいような気がして鬱先生と書いてみましたが、なんか違う、正しくないそれみたいなことがあったら申し訳ありません。それでは本当に長々と失礼致しました。おやすみなさい。
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こんばんは。暑い中のコミケ、大変お疲れ様でした。唇が切れて笑えなくなることありますよね。深く切れてしまった時にはリップ塗るのも痛いので、ヴァセリン死ぬほど塗って放置しています。
テーセウスの船、楽しいですよね!元ネタがギリシャ神話だってだけで、なんとなく浮かれてしまいます。アキレスと亀、胡蝶の夢、哲学の話って洒落ているなあと、哲学をやっている人を眺めては思っていたことを思い出しました。
現実的な話をしてみるとしたら、A対B=8対2〜6対4ってところかな、と思います。幅が広すぎるのはよく分からないからです^^;
大脳は人間にとって最も重要な臓器の内の一つですから、Bさんの身体に移植されたAさんの脳が、(なんの故障もなくBさんの身体に移植されたと仮定して)自分をAだと認識することは、まあ、OKとします。麻酔から覚めて自分をAじゃないと言い出したら、それは多分術中に何かしらの失敗があったのではないでしょうか。
ではベッドに横たわる謎の人間Xは完全なAなのかと言われると、おそらくBの成分も多少は混じるのではないかと思います。
トントンさんの記事に、臓器同士が脳の仲介を経ずに情報をやり取りする、エクソソームのお話がありましたが(エクソソームの名称はトントンさんのお話で初めて知りましたありがとうございます)、我々の身体は脳だけが情報の発信と受信を行って身体を一元的に管理している訳ではなく、身体の中に内蔵されたあらゆる臓器や神経、細胞の一つに至るまでが、彼らにとっての世界の維持のために「ここが傷んでるから治して」「もう成長しなくていいから死んで」「脂を貯めろ!」的な情報をやりとりしています。
私達が「私」と認識しているものがそれを把握しきれていないのは、知る必要がないからです。脳を介さなくても話ができるんだから、脳さんは知らなくていい。それだけ。「私」は身体をコントロールする大事な司令塔の一つですが、唯一にして神聖な、犯すべからざる細胞達の神という訳ではありません。まあ、あればすごく便利なアプリ、ってところでしょうかね。私が「私」と認識している範囲の「私」は。脳のさらに奥深くには、もっと大事なものが隠れ潜んでいるはずですが、ここでは関係ない。
移植ものでよく聞く話に「他人の心臓等を移植したら持ち主の好みや体質が感染った」というものがありますが、今回のお話を哲学とは関係なく考えるなら、この話がヒントになるかも知れないなあ、と考えます。
この話にどれほどの信憑性があるか分かりませんが、各臓器や細胞が、それまで生きてきたように変わらず情報をやり取りする、というのは至極当然のことでしょうし、むしろ身体の中に違う臓器(脳)が一つ、入ったからといって、他の全ての臓器が新しい御主人が来たからと、これまでの生き方をすぐに変えられる訳がない。
以前と同様にナトリウムを消費しやすい身体だったら変わらず塩辛いものを摂ってくれと訴えるでしょうし、皮膚の上に特定の常在菌が多い体質だったら、それに対して特定の反応をし続けるでしょう。
特に心臓の細胞は長生きで、死ぬ時になっても、確か半分くらいの細胞しか入れ替わらないはずですから、今までの生き方を知らない細胞が新しく新陳代謝で入れ替わってこれからはAの心臓として生きていく、みたいなことはないはずです。脳に至っては一生そのまんまですが。
それに、そもそもBの身体はAの身体がどのように生きていたのか知るはずもありませんから、Aのような身体になれと言っても無理な話です。身体側から見た手術直後の人物Xの状態はこんな感じではないでしょうか。
では、脳から見た人物Xはどんなもんかと考えると……うわ怖、違和感満載でしょうね。
MACのOSでWindowsを動かす感じでしょうか、コップに手を伸ばしても、微妙に狙ったところに着地しない、ものを見ようと思っても、ぼやけて見えたり、モードが極彩色になってたり、匂いがやたらと気になったりと、新しい身体が提供してくれる様々な情報や操作の癖に慣れるまで、相当な忍耐を強いられそうです。精神的にくるだろうな、これ。現実世界でもキーボード変えただけで発狂しそうになる訳ですし。
術後、特に手術の直後はこう↑なると推測しますが、免疫の働きを上手く抑えて、脳が身体によく馴染むようになったら……うーん、どうなるんでしょうね。個人的には脳対身体=6対4くらいに落ち着くんじゃないかと思いますが、どれだけ癖の強い身体かにもよりそうですね。性別が変わったら相当変わってしまうでしょうし。テストステロンやオキシトシンの投与による性格の変化は結構凄くて、一部では薬として使用されているくらいですから。まあでも、一度くらいは性別を変えてみたいです。強い、壊れない身体。憧れるなあ。
もう随分長い話になってしまいました。疲れますから読まなくても大丈夫ですよ、と万が一読まれていた時のために書いておきます。所詮与太話なので。
さて、ここで頑張って哲学っぽい話をしたいと思います。でも「こうだ!」って言い切れる話じゃなくて「こうでしょうか?」って感じの、なんとも頼りない話になること請け合いです。間違っていたらすみません、と予防線を張って書いてみます。
ええっと、デカルトでしたか、「我思う、故に我在り」と言ったの。
全てのものって存在が疑われるけど、疑っている自分がいることだけは疑えないよねって話だったと思います。正直、疑ってしまいますが。
疑っているのは果たして自分の意思なのか、って聞かれると、それこそ疑わしいと思わざるを得ませんし、くられ先生も仰っていたと思いますが、人間の意思や気持ちなんか、化学物質で速攻変えられるので。化学物質が天然由来だったとしてもそれは同様です。
まあそれはさて置いて、デカルトの心身二元論でいけば、精神と身体は別のものですから、その説に依って考えれば人物XはAさん、ってことになるのかなあ。多分……きっと?なお、心身問題とやらはよく知りません。が、心身が合一したり相互に作用するっていうのは、これまでの細胞なんかの話からすればあって当然の話ではないかと思います。
これを縁起や無我っていう話にしていいのかどうか分かりませんが、私は「私」だと思っている私だけでなく、身体の中の様々な細胞や内臓、それとそれらが発する情報などの影響を受けながら「私」というものをうすらぼんやりと維持しているに過ぎないのかも知れませんね。それが大事なんですけれども。結論がデカルトじゃなくなってしまいましたが気にしないで下さい。
いやー……長々と乱文、大変失礼致しました。倫理のマンガ、面白いですよね!くられ先生の動画で紹介して頂いて面白そうだと思って買ったのですが、早く次巻が出ないかなあ。鬱先生が考えてらっしゃる動画の企画というのも楽しみです。Vシネ風味の動画、絶対面白いと思います。鬱先生の役どころはどんな感じになるのでしょうね。
最近、実写動画が出る度に鬱先生が痩せたかどうかが話題になっているような気がしてしまうのですが、痩せても太っても、どちらでも鬱先生は魅力的だと思います。痩せているなら格好良く見えるでしょうし、脂肪があっても個人的にはいいのではと思います。喧嘩でも遭難でも年を取るでもなんでも、脂肪がある人は結局強いので。マスコット的な可愛らしさ、という言葉にもとても納得しましたし、マイクラ人狼でもtrpgでも、能力の高さが目立つなあといつも感心しています。高い言語能力と共感力、周囲の状況を瞬時、もしくは事前に察知して臨機応変に振る舞う能力等々が高いのだろうなあ、すごいなあといつも思っています。
ところで、鬱先生をお呼びする時は鬱先生でよろしいのしでょうか。鬱さん、ではなんだか馴れ馴れしいような気がして鬱先生と書いてみましたが、なんか違う、正しくないそれみたいなことがあったら申し訳ありません。それでは本当に長々と失礼致しました。おやすみなさい。