かこつです 私はAさんとBさん、どちらでも無いと思います。 そもそも、脳の移植をする前からその肉体はAさんの物でもBさんの物でも無かったと言えます。 私的所有の感覚から一度離れて考えるといいと思いますが、 物質自体に概念は存在しません。その物質にはプロパティ欄が無いので、これは〇〇の物だという情報を書き加えることは出来ません。 そんな物体である肉体にAさんという自我が宿ったことによって、これはAさんの肉体だという「認識」が生まれるのであって、肉体自体には何の特徴も価値もありません。 ただ「認識」が物質に付加価値をつけるだけであり、これが私的所有の感覚です。 ですので、仮にAさんとBさん、いずれの肉体であるかをはかるには「認識」次第ですね。 その肉体に内蔵された自我がAさんと思えばAさんだし、Bさんと思えばBさんでしょう。 ですが本質的な観点で捉えれば、先程述べたようにどちらの物でも無いと言えるでしょう。
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かこつです
私はAさんとBさん、どちらでも無いと思います。
そもそも、脳の移植をする前からその肉体はAさんの物でもBさんの物でも無かったと言えます。
私的所有の感覚から一度離れて考えるといいと思いますが、
物質自体に概念は存在しません。その物質にはプロパティ欄が無いので、これは〇〇の物だという情報を書き加えることは出来ません。
そんな物体である肉体にAさんという自我が宿ったことによって、これはAさんの肉体だという「認識」が生まれるのであって、肉体自体には何の特徴も価値もありません。
ただ「認識」が物質に付加価値をつけるだけであり、これが私的所有の感覚です。
ですので、仮にAさんとBさん、いずれの肉体であるかをはかるには「認識」次第ですね。
その肉体に内蔵された自我がAさんと思えばAさんだし、Bさんと思えばBさんでしょう。
ですが本質的な観点で捉えれば、先程述べたようにどちらの物でも無いと言えるでしょう。