かこつです! 今回も正義論の概要を緩く楽しく拝読いたしました! 前のくっそ庶民的なリベラリズムとの差異が顕著に出ていてとてもいいですね。 ところでぐるぐる教授が論ぜられた「無知のヴェール論」は、人が魂を持っている、というある種前提若しくは定義づけを為されているわけですが、 魂の存在とはある種宗教的、文化的意味合いを含んでおり、その感性の上に立脚する「無知のヴェール論」はその成り立ちからして「無知」足り得ず破綻しているとの反論がぶつけられます。 抽象的に「これから社会に属そうとする人間」を論じるにあたって、その「人間」が生まれた後に魂の存在を知っているか否か、という個別的事情はさほど大きな問題ではないように思われるのですが、 やはり人間を規律し、同時に人間が運用する法、それに道徳的意義を付与せんとする法哲学において、現実の人間をさておいて抽象的概念である「人間」をその原因に据える事は忌避されるべきものという考え方があるのでしょうか? 個人的には、この「無知のヴェール論」がこんなにも攻撃されるのか理解に苦しむところがあるので、是非次の講義においてはグルデル教授(若い頃)にお越し頂いてご教授いただきたく存じます。
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かこつです!
今回も正義論の概要を緩く楽しく拝読いたしました! 前のくっそ庶民的なリベラリズムとの差異が顕著に出ていてとてもいいですね。
ところでぐるぐる教授が論ぜられた「無知のヴェール論」は、人が魂を持っている、というある種前提若しくは定義づけを為されているわけですが、
魂の存在とはある種宗教的、文化的意味合いを含んでおり、その感性の上に立脚する「無知のヴェール論」はその成り立ちからして「無知」足り得ず破綻しているとの反論がぶつけられます。
抽象的に「これから社会に属そうとする人間」を論じるにあたって、その「人間」が生まれた後に魂の存在を知っているか否か、という個別的事情はさほど大きな問題ではないように思われるのですが、
やはり人間を規律し、同時に人間が運用する法、それに道徳的意義を付与せんとする法哲学において、現実の人間をさておいて抽象的概念である「人間」をその原因に据える事は忌避されるべきものという考え方があるのでしょうか?
個人的には、この「無知のヴェール論」がこんなにも攻撃されるのか理解に苦しむところがあるので、是非次の講義においてはグルデル教授(若い頃)にお越し頂いてご教授いただきたく存じます。