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【新連載】『石岡良治の現代アニメ史講義』シャフトと情報イメージ ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.360 ☆

2015/07/07 16:15 投稿

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【新連載】
『石岡良治の現代アニメ史講義』
シャフトと情報イメージ
☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
2015.7.7 vol.360

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今月より、批評家の石岡良治さんの新連載『現代アニメ史講義』がスタートします。初回に取り上げるのは「シャフト」。『ぱにぽにだっしゅ!』『さよなら絶望先生』『魔法少女まどか☆マギカ』『〈物語〉シリーズ』などの名作を振り返りながら、シャフト独特の映像表現の秘密に迫ります。


▼執筆者プロフィール
石岡良治(いしおか・よしはる)
1972年東京生まれ。批評家・表象文化論(芸術理論・視覚文化)・ポピュラー文化研究。東京大学大学院総合文化研究科(表象文化論)博士後期課程単位取得満期退学。跡見学園女子大学、大妻女子大学、神奈川大学、鶴見大学、明治学院大学ほかで非常勤講師。PLANETSチャンネルにて毎月のレギュラー番組「石岡良治の最強☆自宅警備塾」を放送中。著書に『視覚文化「超」講義』(フィルムアート社)、『「超」批評 視覚文化×マンガ』(青土社)など。

◎構成協力:籔和馬


■ はじめに〜情報イメージとメディアの関係

 みなさん、こんにちは、石岡良治です。今月から新企画である「現代アニメ史講義」を始めます。第一回なので、試行錯誤をいろいろしながら講義を進めていきます。ホームページ上からハンドアウトをダウンロードし、参照していただきます。

 今回は『シャフトと「情報」のイメージ』について語りたいと思います。今世紀のアニメを「情報のイメージ」との関係で検討していきます。
 情報社会をアニメで語るとき、アニメは制作環境がデジタル化されていることを考えます。たとえば『SHOW BY ROCK!!』を取り上げると、ひきこもりでわりとガチのレズビアン少女であるレトリーが、ディスプレイをたくさん並べた自室でインターネットをしていますよね。彼女は、ネットの掲示板に主人公シアンの噂を書き込み、紹介をしているわけです。

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 ネット上の掲示板でコミュニケーション、LINEでのコミュニケーション、ニコニコ動画のような動画サイトのコメント、このようなモノは情報イメージの一つです。情報のイメージを提示するとき、社会の問題とワンクッションのズレがあるため、いくつかの疑念が生じます。
 実写映画を取り上げると、さらに分かりやすくなります。Facebookの創始者であるマーク・ザッカーバーグの半生を描いた映画『ソーシャル・ネットワーク』はどうでしょうか。この映画で扱っているのはあくまで人間ドラマであって、他のウェブサービスと比べたときの優位点などFacebookの仕組みそのものには踏み込んでいません。ほかにも、ノーベル経済学賞受賞の数学者であるジョン・ナッシュの半生を描いた『ビューティフル・マインド』も、数学の真髄には踏み込んでいないですよね。
 ここで私が問題提起したいのは、「アーキテクチャの話をするのは、映画では不可能ではないか」という議論です。芸術家や科学者の映画でも、その専門分野の話には踏み込みこめないのが、映画というメディアの特徴としてあります。

 この議論をアニメに応用すると、アニメにはロボットやコンピュータ、兵器がよく現代文明の象徴として登場しますが、文明のテクノロジーそのものを深く掘り下げていないだろうということになります。
 要するに、コンテンツやサブカルチャーを扱うことが、社会と接点がない浮ついたものにとどまるという議論です。

 情報イメージというものは、ワンクッションおくことで生まれてきます。しかし、ワンクッションおいた情報イメージを分析することで、そのイメージから、いろいろな方向に接点が生まれているのではないかということを考えていきたいです。拙著『「超」批評 視覚文化×マンガ』(青土社) でも語りましたが、私は「反映論VS内在分析」や「フォーマリズムVS社会評論」のような対立はあまり意味をなさないと考えています。

 情報のイメージはフォーマリズムの様相を呈しています。カルチャー好きの人は、社会論の視点で語られることを毛嫌いしがちです。このような人が出てくる事情についてはフォーマリズムの視点から分析すべきです。情報社会について人間ドラマで語るかぎり、人間ドラマそのものには踏み込んでいないということになります。ワンクッションおいたところから、情報社会の関係と絡めながら、内容に対する接点をみてみたいと思います。これが本講義全体を通してのテーマです。


■ 細田守監督『デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム』

 講義を始めるにあたって、20世紀最後の年である2000年の細田守監督作品『デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム(ぼくらのウォーゲーム)』を起点に置いて考えていこうと思います。

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 このアニメ作品は社会論的にみても、すごく興味深い作品です。「核ミサイルが暴走して、それを食い止めるミッション」を作品内で大きな目的としていますが、この目的は2000年だから可能でした。2001年9月11日以降だと、ワルードトレードセンターを全壊させたアメリカ同時多発テロが起きてしまったので、倫理的に不可能ですよね。
 もう一つは島根県の人に対する深刻な風評被害があります。「島根にパソコンがあるわけないじゃん」と叫ぶ、ヤマトのセリフがあります。インターネットの普及がまだ不十分だった時代で、電話線でインターネットにつなぐ環境(テレホーダイで夜中につなぐなど)でした。このように少し古めかしいのですが、この映画を起点にすることで今世紀のアニメの輪郭が見えてきます。
 2009年に公開された同じく細田守監督作品『サマーウォーズ』は『ぼくらのウォーゲーム』よりもテーマ的に後退しているように思います。この点も考えていきたいと思います。

 核戦争は冷戦下のイマジネーションだったのですが、結果的に核戦争は起きませんでした。しかし、偶発的な暴走はあるのかというテーマもあります。2014年のテレビアニメ作品『残響のテロル』が核テロをテーマに扱っていましたが、いまいち不発だったのではないかと思います。核のテーマは『ぼくらのウォーゲーム』で消費されてしまっていたことが不発につながりました。


■ シャフトアニメ独特の「スカスカ感」はどこから生まれるのか

 どうして「シャフト」から取り上げるのかというと、「シャフト」の時代という観点から語りたいということです。

 今回扱う「シャフト」は、昔、アニメの下請け会社で、『あしたのジョー2』などの仕上げを担当していて今に至ります。今回は「新房昭之総監督作品」および「シルバーリンクの大沼心監督作品」を語りたいと思っています。ただ、シルバーリンクの作品は量産型アニメ、いわゆるB級アニメの割合が高くなっているようですが、ある程度は共通して語れると考えています。
 
 「シャフト」で情報を語るのは、ある種のクリシェかもしれません。しかし、一般にアニメをより大状況で作家的に語るとき、押井守や庵野秀明の作品について「画面情報のコントロール」の観点から語る言説は豊富に出揃っていますが、彼らとの違いにも注目してみます。
 
 具体的に言えば、押井守作品だと『機動警察パトレイバー 2 the Movie』のレイアウトシステムについて『Method―押井守「パトレイバー2」演出ノート』(角川書店/1994年)という書籍が出ています。
 押井守作品は、レイアウトで背景とキャラクターを載せて、カメラについては「カメラアイ」を徹底させています。つまり「カメラアイ」によって作品の空気感が生まれるという議論です。押井さんの情報をコントロールするレイアウトメソッドというものは、「背景」「人物」「カメラアイ」とその間にある「空間」を設計し、カメラがどう風景を切り取っているか意識させることで、画面の外の風景がどのくらいつながっているかをなんとなく想像させています。
 アニメは画で表現しなければ、端的に言えば「無」です。しかし、レイアウトシステムを使い、カメラを感じさせ、その外側の風景を意識させることで、アニメの絵柄でありながら画面の外の情報を示唆することに、押井守作品の特徴である「画面情報のコントロール」の肝があると私は考えています。

 しかし、「シャフト」作品はしばしば「カメラアイ」を省略しています。「シャフト」アニメ独特のスカスカ感は、わざと「カメラアイ」を外していることによるものでないかという議論です。
 批評用語で言えば、美術批評でよく使用される「flatbed picture plane」という概念です。Flatbedとはスキャナーのことです。コピー機でコピーすれば、そのものは情報として取り込まれます。また、コピー機にUSBを差し込めば、それは画像データやPDFという情報として取り込めます。この状態を考えてください。
 要するに情報をコントロールするときに、カメラは必須ではないということです。このように考えると、アニメは元来カメラを必要としていなかったのではないかという議論が生じます。
 私が数年前、雑誌『表象07』で対談したトーマス・ラマールさんが著した『アニメ・マシーン-グローバル・メディアとしての日本アニメーション-』(名古屋大学出版会/2013年)という、アニメ制作そのものをマシーンとみる議論を行っている書籍があります。
 この本で取り上げられている「アニメーションスタンド」という概念があります。デジタル以前のアニメ撮影は、スタンドがあり、その上からカメラで撮影していました。このような時代でも空間を使って奥行きを演出するカメラ「マルチプレーン・カメラ」はありました。このカメラを用いた代表作品に『風車小屋とシンフォニー』(1937年/ウォルト・ディズニー)があります。風車小屋のセル画と手前にある蜘蛛の巣のセル画の間を離して、空間を実際に作って撮影していました。
 アニメにおける空間の作り方では、実写映画とは別のことができます。デジタル化・3DCG化は、このような状況を加速させていると私は考えています。
 要は、押井守の「カメラアイ」を使用した「画面情報のコントロール」と違った別の方法があるということです。


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