日本的ゲームの土壌から花開いた
サブカルチャーの系譜
サブカルチャーの系譜
――YMO、ビートたけしから
ボーカロイド、グループアイドルまで
ボーカロイド、グループアイドルまで
☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
2014.7.11 vol.112
(初出:「サイゾー」2014年4月号)
本日のほぼ惑は、「現代ゲーム全史」特別編として、「サイゾー」2014年4月号に掲載された中川大地の論考をお蔵出しします。日本独自の様々なコンテンツの源としての、「ゲーム」の文化史的位置づけとは? そして、ゲーム的想像力が可能にした「フィクションから現実への越境」とは――!?
現在の日本のポップカルチャーシーンにおいて、ゲームは最後発のメディアにあたる。具体的には、1970年代にアーケードビデオゲームが登場し、78年の『スペースインベーダー』の爆発的なブームを経て社会化し、急激に表現を高度化させていった分野だ。最後発ゆえに、それ以前に存在していた他のカルチャージャンルの題材趣向や演出技法を、見よう見まねで無節操に取り込まざるをえない。そうして取り込まれた複数のジャンルの表現が、ゲームジャンルの内部でシャッフリングされてクロスオーバーが起き、そこでの変質が逆に先行ジャンル側のキーパーソンなどを通じて諸ジャンルに持ち帰られる。この30数年間のカルチャー史の流れの中には、そのようなモーメントがあった。その意味で、ゲームは先行コンテンツ文化全般に、テクノロジーの進歩がもたらす予想外の変化を注ぎ込む、進化の震源地となってきた分野だったと言えるだろう。
本稿では、ゲームジャンルの発生以来、影響を与え合っていった他ジャンルでの成果を見ていきたい。
■音楽――電子音が触発したムーブメント
数あるカルチャー表現の中で、最初にゲームからの本格的なフィードバックを受けたジャンルが「音楽」である。その最も大きなチャンネルとなったのが、クラフトワークなどのドイツテクノと並行して、テクノポップという日本独自の音楽ジャンルを作り上げたYMOだ。彼らの1stアルバム『イエロー・マジック・オーケストラ』(79年)は、1曲目は『サーカス』(77年)、5曲目に『インベーダー』と、のっけから当時ゲームセンターで稼働していたビデオゲームの音源を利用しているのである。日本が初めて世界に発信した電子音楽のムーブメントが、まさにゲームの音から始まっていたという事実は注目に値しよう。
その延長線上にYMOのメンバーだった細野晴臣がプロデュースしたのが、『ゼビウス』(83年)などナムコの人気タイトルのBGMを収録した初のゲーム音楽アルバム『ビデオ・ゲーム・ミュージック』(84年)だ。『ゼビウス』の世界観はアニメ『伝説巨神イデオン』など、現在でいうオタク文化に類する分野の影響で作られているが、細野のようなニューウェーブ的な音楽はいわゆる新人類/サブカル的な感性の走りだ。さらにライナーノーツにはニューアカデミズムの旗手であった人類学者・中沢新一が寄稿しており、いかにゲームが80年代前半のカルチャー状況を複合的に刺激していたかがわかる。
80年代後半にゲームのメインストリームが据え置きのテレビゲーム機に移り、RPGの勃興期になると、すぎやまこういちが音楽を担当した『ドラゴンクエスト』シリーズ(86年~)ではゲーム音源のみならず、そのイメージを膨らませてオーケストラ編成にしたアレンジ版が発売されるようになる。さらに『ファイナルファンタジー』シリーズ(87年〜)などでは、北欧系のワールドミュージックやプログレッシブロックなど、比較的マイナーなジャンルの音楽が普及度を上げる回路としても機能していく。そうして生まれた和製ファンタジー系のゲーム音楽は多くのフォロワーを生み、その影響下に「物語音楽」を掲げるSound Horizonのような同人音楽出身のアーティストも登場している。
そしてサークル「上海アリス幻樂団」製作の同人シューティングゲームシリーズである「東方Project」の楽曲は、DTMシーンにさらなるn次創作のムーブメントを生み、00年代の同人音楽界を牽引した。ニコニコ動画を主舞台としたこの流れは、現在の日本の音楽シーンの一角を占めるボーカロイド文化とも直結している。
こうして振り返ってみると、テクノポップにせよ同人音楽・ボカロ音楽にせよ、海外の追随でない日本独自のポピュラー音楽のジャンルは、実はゲームの影響からしか生まれていないという言い方さえできるだろう。
■テレビバラエティ――国民娯楽への侵食
音楽に続き、歴史的に早い時期にゲームからの大きな影響を受けた文化が、実は「テレビバラエティ」である。1983年のファミコンの登場は、それまでの大衆娯楽の王者だったテレビ文化にとっては、決定的な挑戦だった。外部入力端子のなかった当時のテレビ受像機にファミコンを繋げる手段は、放送波と同じ形式の周波数変調によるRF接続しかなかったから、ある意味で電波ジャックをしているようなものだ。
このことに最も敏感だったテレビ人が、ビートたけしである。80年代の漫才ブームを経て「オレたちひょうきん族」で天下を取ったたけしもまた、『スーパーマリオブラザーズ』(85年)で国民的なブームの域に達したファミコンの虜になった一人だった。その尋常でない注目ぶりは、本人がゲーム内容にまで強く関与したゲームソフト『たけしの挑戦状』が、理不尽な難解さで伝説的な「クソゲー」となり、他のタレントゲームとは別次元の怪作となったことからも明らかである。そして直後に手がけた「痛快なりゆき番組 風雲!たけし城」(86〜89年)は、まさにファミコン的なステージクリア型アクションゲームの趣向を導入したゲーム発のバラエティ番組だった。このような新たな番組フォーマットの確立は、かつて喜劇小屋でのコント劇をテレビに移植したコント55号やザ・ドリフターズに匹敵する意義があったと言えるだろう。
以降、体感型のデジタルゲームなど複数のミニゲームで構成された「関口宏の東京フレンドパークⅡ」(94〜11年)、サイドビュー(水平方向から見る視点)型の横スクロールアクションのような画面構成の「SASUKE」(97年〜)など、多くのバラエティ番組にゲームの要素が盛り込まれる時代が訪れた。
この系譜の現在の最新型が、フジテレビの「逃走中」「戦闘中」であろう。ミッションをクリアすべくアイテムを集めたりバトルを行ったりといったシステムは、『ゼルダの伝説 時のオカリナ』(98年)のような3D時代のアクション探索ゲームそのままだ。このようにアクション性の高いゲームの進化は、バラエティ番組の企画にかなり直接的な影響を及ぼしているのである。
■マンガ・アニメ――RPGが変えたドラマツルギー
一方、ゲームとの接点が最も高そうにみえる「マンガ・アニメ」といったビジュアルな物語ジャンルは、ゲームの側に影響を与えたり、『ゲームセンターあらし』のようなゲームを題材にした作品が登場することはあっても、表現手法そのものへのゲームからの影響が感じられる時期は意外と遅い。おそらくその端緒は、『ドラクエ』で鳥山明や、学生時代からジャンプ編集部にライターとして出入りしていた堀井雄二など「週刊少年ジャンプ」の才能がゲーム業界に注入されたあたりだろう。ファミコンが国民的娯楽になった時期は『キン肉マン』『北斗の拳』等々、「ジャンプ」の黄金期にあたる。そして数あるバトル漫画の中でも、鳥山の『ドラゴンボール』に「戦闘力」のような露骨なRPG的パラメータが登場し、ドラマツルギーとは独立したシステムマティックな強さの指標として描かれていくあたりから、少年マンガの作劇におけるゲームの影響が顕著になってくる。
さらに90年代中盤には、『ジョジョの奇妙な冒険』や『幽☆遊☆白書』のように絶対的な強さのヒエラルキーではなく、主人公チームがRPGのパーティバトルよろしく、特性別の役割分担で、ルール性の高いバトルでの知能戦を繰り広げる傾向が強まっていく。つまりジャンプ漫画の作劇流行において、ゲームの体験からのフィードバックが、徐々に「努力・友情・勝利」からの脱却をもたらし、今に至っているのである。
さらに直接的な例では、「ドラクエ」の発売元エニックスが91年に自前の漫画誌「月刊少年ガンガン」を創刊。01年から始まった看板作品『鋼の錬金術師』が、強い法則性で貫かれたファンタジー世界での攻防を展開。媒体面でも内容面でも、本格的にゲームが涵養したマンガ文化が登場した。
『ドラクエ』がマンガとの隣接性を深めた作品なら、アニメとのそれを深めたのが『ファイナルファンタジー』だ。『FF』はより『指輪物語』以来の西洋ヒロイックファンタジーの意匠導入度が強い作品だが、それに匹敵する要素として『風の谷のナウシカ』的なエコロジカルな自然観を地水火風のクリスタルで表現したり、『天空の城ラピュタ』のロボット兵のようなロストテクノロジーを登場させたりと、シリーズを通して宮崎駿的な世界観を導入したのが重要だ。
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