ジェットマン、シャンゼリオン、アギト、そしてファイズ……井上敏樹は特撮ドラマを中心に多数のシナリオを手がけてきました。そんな彼が2月7日に上梓したのが、小説としては処女作となる『海の底のピアノ』です。今回は、この作品を読み「改めてきちんと語ってみたくなった」と語る宇野常寛が、その魅力あふれる作品たちを振り返りながら「愛と欲望と情念の交錯する」井上作品を解き明かします。
※ 以下、宇野が語った内容を編集部が構成しています。
■ 日本であんなことをやってのけたテレビドラマって多分他にはない
僕はたぶん平成仮面ライダーシリーズについては、史上最も多く評論を書いた人間だと思う
のだけど、井上敏樹という作家個人については、あまり語ったことはない。でもこの『海の底のピアノ』という小説を読んで、改めて井上敏樹という作家についてきちんと、語ってみたくなった。井上敏樹という作家はインタビューを注意深く読むと思うけれど、ああ見えてものすごく自己批評的で、手法に自覚的な作家なんだと思う。平成仮面ライダーの中では『アギト』『555』が自信作なのだけど、『キバ』はあの80年代と現代を往復する物語構造とそれを毎回30分に収める手法を生んだところで力尽きてしまった、という自己評価らしい。批評家としては制御しきれていない作品だからこそ、あの作品の端々には井上さんの無意識が、本質が現れているようにも思うのだけど。
井上さんってあの人の家に行くと分かるんだけど、部屋に置いてあるのは海外文学と古い映画と海外のテレビドラマと日本の漫画、あとは料理と骨董と武道の本が積んである。あまり整理する気はないみたいで、ただ積んである。井上敏樹という作家を考えるときに、日本の特撮ヒーローの枠組みだけで考えるのは、あまりいい攻め方ではないよ。僕はそのうち『ヒカリアン』や『ギャラクシーエンジェル』のアニメ版を含めた、要するにコメディ作家としての側面も含めた井上敏樹論を書くつもりで、そのときに手がかりになるものはないかなと思って部屋に行くたびに本棚に目を光らせている(笑)。
たとえば僕は、90年代のアメリカン・サイコサスペンスの日本輸入でいちばんうまくいったのは、『仮面ライダーアギト』だと思う。あの番組は視聴率も高かったし、一年間30分×50話の群像劇を、それもあれだけ謎解きも人間関係も入り組んだ大河ストーリーを破綻させなかった作家って井上敏樹だけだと思う。特にいまだにすごかったと思うのが、あの作品、三人の仮面ライダーのストーリーが中盤までほとんど独立して進行していて、実はきちんと合流するのは後半の木野薫が死ぬエピソードの周辺だけなんだよ。ほかは、少しづつ絡み合って――この絡み過ぎない塩梅が絶妙なんだけれど――いるけれど基本的には独立している。そして気が付いたら合流してクライマックスでに流れ込む。そして、エピローグではまた分離していく。これは相当アクロバティックな脚本術だったと思う。しかも一個一個のキャラクターも限られた分数の中で最大限魅力的に描き出すという荒技をやっていて、テクニカルに僕が一番すごいと作品はやっぱり『アギト』だと思うんだよ。日本のテレビドラマ史の中でもスバ抜けている。
そして、この『海の底のピアノ』のストーリーテーリングは間違いなくあの『アギト』の延長線上にある。どこまでネタバレしていいのか分からないけれど、これ、一応恋愛小説なのに二人が出会うのは物語のだいぶ後半だからね。そう、出会うまでに半分使っちゃうの(笑)。
ただ、この小説の世界観は、むしろ『仮面ライダー555』を昇華したものだと思う。誰が、どう考えても作家・井上敏樹の抱えている世界観を究極に近いところまで表現しちゃっているのは『555』だからね。それはご本人もたぶんそう思っている。井上さん自身も、たぶんあの作品を一年かいて自分の中から出てきたものに戸惑っているところがあると思う。だからこの小説を書いたんじゃないかってくらい、あれは大きなものを残している。
僕もだいぶあの作品については書いてきたけれど、『555』は特撮ヒーローという枠組みを超えて少なくとも国内のサブカルチャー史の中では少し特別な位置を占めつつある。あれからもう10年以上たつけれど、未だに綾野剛がテレビドラマに出ると「澤田」だってツイッターで騒がれるし、毎年9月13日には「カイザ祭り」が行われている(笑)。平成ライダー第一期の中で初めてBlu-ray化されるのも『555』っていうのも、はっきり言ってしまうとコアなファンが十年間騒ぎ続けていたからだと思う。
少し前に、井上さんと『555』について話していて愕然としたことがある。「あれ(『555』)って実は何もない話なんだ。オルフェノクってのは黙っていれば勝手に滅ぶんだから。実は何も起こっていない話なんだ」とかぬけぬけと言うんだよ(笑)。
たしかに、『555』というのは究極的には、ボーイズ・ラブ的なものも含む恋愛関係のソーシャルグラフとベルトの持ち主が入れ替わるだけで、本質的には一年間何も物語が進行していない。物語中の大状況や世界の構造は一切動いてなくて、単にベルトの持ち主と恋愛感情が変わるとドラマがあるかの様に視聴者は錯覚している。そして井上敏樹という作家は最初からそのつもりだったんだと思う。そうじゃないと、オルフェノクという存在を描かないし、ましてや主人公にはしない。要するに、ただ滅ぶだけの存在から世界がどう見えるのか、ということを描きたかったんだと思う。最初からね。確信犯なんだよ。
■ ホントは食べてそのまますごく快楽を得て、一瞬で消えていくモノにしか興味がない人。
僕等が井上敏樹の作品を観たときに感じる壮大なペテンに引っかかったような気持ちっていうのは、当然だけど本人は意図して仕掛けている。そして、それはあの人自身の作家として抱えてきた世界観、哲学の様なものに深く結び付いてる。
たとえばあの人は、一言で言うと稼いだ金をひたすら食べることに使う人なんだよ。
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