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第四章 オルタナティヴな近代性――中国小説の世界認識(後編)|福嶋亮大

2023/07/12 07:00 投稿

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  • 世界文学のアーキテクチャ
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本日のメルマガは、批評家・福嶋亮大さんの連載「世界文学のアーキテクチャ」をお届けします。『水滸伝』や『三国志演義』といった作品がどのように読み解かれたのかを通じて、近世の中国文学と批評のあり方について分析します。
前編はこちら

福嶋亮大 世界文学のアーキテクチャ

5、一六世紀のコミュニケーション革命

 以上のように、中国の「小説」はその周縁性ゆえに、オーソドックスな文化的分類体系を攪乱してきた。この文化のへりにあった小説が大きな飛躍を遂げたのが、明清時代――アメリカの学術界では「後期帝国中国」(Late Imperial China)とも呼ばれる――である。その背景には、出版物の爆発的増大という劇的なコミュニケーション革命があった。
 印刷術そのものはすでに八世紀には存在していたが、それが出版という業態へと進むには相当の時間がかかった。唐までは、書物に記された知識は、手書きの書写本(鈔本)として一部の貴族に独占され、ごく狭い範囲で流通するだけであった[11]。例外は、仏教が布教のために印刷術を利用したことである。韓国で発見された「大陀羅尼経」や日本の「百万頭陀羅尼」が最初期の印刷物とされることからも分かるように、印刷の歴史は仏教と深い関係がある。中国文学者の大木康は「印刷術はほぼまちがいなく仏教の世界、あるいは少なくとも仏教にごく近いところで発明されたといってよいのではないかと思う」と述べている[12]。
 唐の滅亡後、それまで社会から隔離されていた書物は、貴族階級の没落によって広く開放され始めた。それが中国出版史の事実上のファースト・ステップとなる。宋代(特に南宋)に入ると、出版業はめざましい広がりを見せて、書物の供給ルートが形成された。旺盛な知識欲をもった宋の知識人は、儒教以外の異端的な思想書(『韓非子』等)も含む多様な書物を望んだ。その結果、当時の著名な詩人・蘇軾(蘇東坡)に無断で、彼の詩集を刊行するようなケースすら生じたのである。しかも、この海賊版の詩集に朝廷を誹謗する箇所があったとされて、蘇軾はあやうく処刑されかける。これは営利出版がそのまま政治的な事件になり得ることを、よく示すエピソードだと言えるだろう。
 しかし、当時の士大夫は書物があまりに広く開放されることを警戒し、営利出版の発展には無意識のうちにブレーキをかけた。そのため、出版がその潜在力を解き放てずにいるうちに、モンゴル族の支配する元の時代になり、出版物の多様性や品質は低下してしまう。いったん冬の時代に入った出版業は、なかなかそのトンネルから抜け出せなかった。それは元が滅んで、漢民族の明になっても変わらない。「出版の俗化と単調化は、漢族王朝が復活して明代となっても、とどまるどころか一層はなはだしく進行し、加えて量的にも衰退の様相を呈した」(井上進)[13]。
 この質量ともに低調な状況が一変したのが、一六世紀半ば以降の明末の万暦年間のことである。この時期に出版文化は空前の活況を呈し、多くの印刷物が巷にあふれた。書物はもはや一部の知識人の独占物ではなくなり、各都市に広く流通するようになった。ちょうど一六世紀以降のヨーロッパでユマニストたちが出版と思想を結びつけ、新しいフォントであるローマン体やイタリック体が普及したように(前章参照)、だいたい同時期の中国でも、版木を彫るときに分業しやすい幾何学的な明朝体のフォントが誕生し、書物の拡大に大いに寄与した。
 大木康は当時の「出版革命」の帰結として、書物の形態が大量生産に向いた線装本に変わり、明朝体が生まれ、図像入りの書物が氾濫するようになったことに加えて、小説の刊行点数が爆発的に増加したことを挙げている。それに伴って、出版や批評に積極的にコミットする「出版文化人」(陳継儒、李卓吾、馮夢龍、李漁ら)が台頭し始めた[14]。出版と小説を積極的に活用しながらときに社会の規範に挑戦した彼らを、中国版のユマニストと見なしても、さほど言い過ぎではないだろう。
 すでに『三国志演義』や『水滸伝』は元末明初(一四世紀)の時点で、ある程度作品としてまとまりつつあったが、出版革命の起こった一六世紀以降、出版物として社会に定着する。例えば、『水滸伝』の刊本には複数の系統があるが、そのうち代表的な『李卓吾先生批評忠義水滸伝』(杭州の容与堂刊)は一七世紀初頭に刊行された。それとほぼ同時期の一六一〇年に、『水滸伝』の一つのエピソードを長編にふくらませた『金瓶梅』が出る。『三国志演義』の代表的な刊本である『李卓吾先生批評三国志』もだいたい同時期の刊行物である。
 この『水滸伝』や『三国志』を筆頭に、当時の小説はしばしば出版文化人のコメント入りで刊行された。ここから分かるのは、著名な批評家のコメントが作品の付加価値を高めたこと、そして小説が批評=思想の新しい動向と密接に関わっていたことである。これらの小説はたんなる暇つぶしにはとどまらず、出版革命を背景とする先端的な思想運動のシンボルにもなった。
 これらの小説の作者は名義上、羅貫中や施耐庵とされているが、彼らの実態は漠然としていて、ほとんど何も分からない。それに比べて、一六世紀後半を生きた李卓吾は、出版界では名高い思想家であった。そのため、彼の名義を借りて、実際には別人が批評を書くケースも多かった(例えば、『李卓吾先生批評忠義水滸伝』の批評家は、李卓吾ではなく葉昼という説が有力である)。後述するように、このパイオニアとしての李卓吾の思想に触発されて、『三国志演義』の改訂版を出した毛宗崗や『水滸伝』に独創的なコメントを付した金聖嘆のような一七世紀(明末清初)の批評家が、この批評=思想の運動を継承することになる。 

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