お笑いコンビ、ザ・ギースの高佐一慈さんが日常で出会うふとしたおかしみを書き留めていく連載「誰にでもできる簡単なエッセイ」。
高佐さんが日常で遭遇する「引くに引けなくなった」状況の対処法について、さまざまなエピソードを語りながら、中学生のころに体験したある出来事を思い出します。
高佐一慈 誰にでもできる簡単なエッセイ
第25回 周りの目を気にしすぎるあまり、乗りたくない高速道路に乗ってしまう
引くに引けない状況に立たされることはないだろうか? 多かれ少なかれ、誰にでもそんな経験はあると思う。
彼女と最近上手くいっていない。本当は全然好きなのに、ちょっとしたことで喧嘩をしてしまう。何度目かの言い合いの末、つい「別れよう」という言葉が口をついて出てしまった。本当は別れたくなんてない。売り言葉に買い言葉がエスカレーションしていった末のフレーズだったが、案外すんなりと相手に受け入れられ、自分の思いとは裏腹に、結果本当に別れることになってしまった友人を、僕は知っている。
彼は、自分が言い出した手前、すぐに発言を撤回するのがカッコ悪いと思ったのか、引くに引けず、乗るつもりのなかったさよなら高速道路を爆走するはめになった。だいぶ走ってから、これはマズいと思い直し、なんとかインターで降りようとしたのだが、時すでに遅し。彼女からの「別れようって言ったのはそっちでしょ。もう気持ちが冷めちゃった」というとどめの一言で、目的地「離別」に向かってそのまま泣きながら爆走することになってしまった。
世の中、引くに引けない状況に立たされることがよくある。
特に僕は、日常茶飯事だ。それは大抵、周りの目を気にしすぎるがあまり、起こってしまう。ほんの些細なことでも、勝手に引くに引けなくなってしまうのだ。
電車に乗っていて、駅に着いたと思って立ち上がったら、停止信号のため一時停止しただけだった時なんかがそうだ。
決して座り直すことはない。扉付近に移動し、さりげなく、扉上部に貼ってある路線図をまじまじと見たりする。それっぽく、駅の数を指で「1、2、3、4……」と数えてみたりもする。あくまで、間違えて席を立ってしまったわけじゃなく、始めから路線図を確認したかったんですよー感を出すためだ。そして、時計を気にするフリをし、一番早く乗り換えられる車両へ移動しないと乗り換えに間に合わないんだよ感を出し、別の車両へと移動する。
そうまでして、「間違えて立ち上がっちゃった罪」の証拠をカモフラージュしようとしても、周りからの『あの人、停止信号なのに立ち上がっちゃったわよ、ぷぷぷ』という声を完全に拭い去ることはできない。拭い去るには、本当にそのつもりで席を立った人になりきるしかない。なりきると、本当に自分のことが、そのつもりで席を立った人に思えてくる。すると恥ずかしさは消えていく。
たまに、黙って座り直す人を見ると、純粋にすごいなあと思う。心の強さがただただ羨ましい。僕にはそんな勇気はない。僕は、偽りの思い込みで自分を塗り固める。
先日、お昼過ぎに、家で電話をしていたら、玄関のチャイムが鳴った。電話の内容がまあまあ込み入った内容だったので、一瞬無視しようと考えたが、もしも宅配だったら再配達は面倒だなと思い直し、一旦電話を切って玄関へ向かった。ドアを開けると、もう誰もいなかった。
急いで追いかければまだ間に合うと思い、エレベーター無しの4階に住んでいる僕は、ダッシュで1階まで駆け下りた。
すると、ちょうどエントランスから出ていく人の後ろ姿が見えた。何やら荷物を抱えている。完全に宅配の人だ。急いで追いかけてよかったと思い、僕は息を切らしながら声を掛けた。
「すみません! 401の高佐です。よかった、間に合いました!」
エントランス内で思った以上に反響してしまった僕の声を聞き、配達の方はくるっと振り返った。
「ええっ!? わざわざすみません! ありがとうございます!!」と、申し訳なさそうに、しかし喜びの表情を浮かべ、丁寧にお辞儀をした。ずいぶんオーバーなリアクションだ。そこまで感謝されることか?
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