「好きを仕事に」。こんな言葉を見かけることも、だいぶ増えましたよね。YouTubeやSNSなど、「好きなこと」を発信し、お金に変えていくためのプラットフォームもたくさんあります。
しかし、本当に「仕事に」するだけが正解なのでしょうか? あえて仕事にせず、「趣味」として真剣に取り組む道だってあるはずです。休息や気晴らしではなく、自分のやりたいことを実現するために行われる趣味である「シリアスレジャー」について、余暇研究と学習科学の学際的な立場から趣味を研究している杉山昂平さんに寄稿してもらいました。趣味としてやっていく選択肢の意味から、楽しみ方の学習や学習環境デザインの必要性まで、シリアスレジャーの現在地と可能性に迫ります。
シリアスレジャーとはなにか? ──「好きを仕事に」しない道をつくる|趣味研究者・杉山昂平
私は余暇研究と学習科学の学際的な立場から趣味を研究している。余暇研究と学習科学、どちらの分野も読者の方にはあまり馴染みがないかもしれない。まして両者を越境して「趣味」を研究するとなると、一見したところでは何をするのか想像がつかないだろう。
本稿では、そのような趣味研究とは何を考える試みであるのか、試論的に紹介したい。余暇研究と学習科学の考え方は、趣味のいかなる側面に光を当てるのか。それによって、趣味に関するいかなる問いが引き出されるのか。これらを論じることで、なぜ私は趣味研究が面白く、また必要だと考えているのか、その一端をお伝えできればと思う。
その際に鍵となるのが、余暇研究における「シリアスレジャー」という概念である。私が「趣味」と言うとき、それは「シリアスレジャーとしての趣味」を指している。今年の4月に宮入恭平氏と出版した書籍『「趣味に生きる」の文化論──シリアスレジャーから考える』(ナカニシヤ出版)でも、副題としてこの言葉を用いた。まずはシリアスレジャーの意味内容を紹介し、そこから論点を敷衍していこう。
シリアスレジャーとは何か
シリアスレジャーは、趣味の「趣味らしさ」が一体どこにあるのかを教えてくれる概念である。
もともと、カナダの余暇研究者ロバート・ステビンスが1982年の論文“Serious Leisure: A Conceptual Statement”において提唱した。アマチュアや趣味人(ホビイスト)、ボランティアといった人々の活動を表すための概念である。これらの活動は余暇に行われるが、労働のためのエネルギーを回復・再創造(re-creation = レクリエーション)するための休息や気晴らしではない。むしろ、自分のやりたいことを実現するために行われる活動である。そのような特徴を、ステビンスは「シリアス」(真剣な)という形容詞で表現し、休息や気晴らしとして行われる「カジュアル」な余暇活動と対比させた。
ステビンスは『Serious Leisure: A Perspective for Our Time』(2015年、Routledge)において、シリアスレジャーを次のように定義している。「アマチュア、趣味人、ボランティアの中核的な活動を体系的に追求すること。彼・彼女らにとって、その活動はたいへん重要で、面白く、充実したものだと感じられる。そのため、典型的な場合では、専門的なスキル、知識、経験の組み合わせを習得し、発揮することを中心としたレジャーキャリアを歩み始める」。ここから、シリアスレジャーとしての趣味は「余暇活動としての継続性」と「専門的な楽しみ方の実践」という2つの特徴によって、カジュアルレジャーから区別されることが分かる。ここに趣味らしさの源泉がある。
例えば、ぼーっとテレビを見ることと、趣味で漫画を描くことを比べてみよう。両者はともに余暇活動であるが、使われる知識やスキルの点では対照的である。ぼーっとテレビを見ることは、テレビの付け方さえ知っていれば誰にでもできる。後はその前に座っているだけでよい。それに対し、漫画を描くことは誰にでもできるものではない。私のように絵の描き方もストーリーのつくり方も知らない未経験者にとって、漫画は「描けない」ものである。未経験者に比べれば、趣味の漫画家はプロでなくとも「専門的」と言える。
そのような専門的な楽しみ方は、一朝一夕でできるものではない。活動を続け、経歴(レジャーキャリア)を積み、漫画を読み描きする経験を蓄積するなかで、趣味としての漫画活動は形づくられてく。趣味がこのような特徴をもつことは、日常的な直観にも合うのではないだろうか。
確かに、ぼーっとテレビを見ることも、私たちは人生の中で何度も行っている。だが、何度も見たからこそのテレビの見方をしているわけではない。ぼーっとテレビを見ることには、反復性はあっても継続性はないのである(逆に、何度も見たからこそ可能になるテレビの見方・楽しみ方をしていたとしたら、それは趣味になっている。ドラマの視聴などではそのようなケースもあるだろう)。
これらの特徴は、ある余暇活動が、あらかじめシリアスレジャーかカジュアルレジャーに区別されるのではないことも示している。確かに漫画を描くことのように、スキルがなければ実践しようがないため、シリアスレジャーとして行う他ない活動もある(そのような活動は参入障壁が高いと感じられるだろう)。その一方で、テレビや映画を見ることのように、カジュアルにもシリアスにも行いうる活動も存在する。その場合、趣味として映画を観る人もいれば、気晴らしとして映画を観る人もいることになる。シネフィルと呼ばれる映画通と普通の観客の違いである。シリアスレジャーとしての趣味は、活動のジャンルを表すのではなく、活動への「取り組み方」を表すのである。
なお、ステビンスは「プロが存在する分野」のシリアスレジャー実践者を「アマチュア」、「プロが存在しない分野」のシリアスレジャー実践者を「趣味人」(ホビイスト)と区別している。それに従うと、野球の世界にはプロがいるので、草野球を楽しむのはアマチュアとなる。一方で、切手収集の世界にはプロがいないので、切手収集を楽しむのは趣味人ということになる。私はこの区別の必要性を今のところ感じていないので、プロがいようがいなかろうが、シリアスレジャーの実践者を全て「趣味人」と呼んでいる。だが、eスポーツのようにプロが誕生しつつある分野の動態を捉えるには、アマチュアと趣味人の区別も役に立つかもしれない。
趣味としてやっていく選択肢
シリアスレジャーという概念を手にすると、「ある活動を趣味としてやっていくこと」を人生の一つの選択肢として積極的に位置づけられるようになる。
活動を趣味として取り組むのは、考えようによっては、何の変哲もないことのようにも思える。だが、これまで見てきたように、趣味は余暇活動のなかでも、継続性と専門性を帯びた独特な取り組み方なのであった。それゆえ、趣味の実践には、活動をカジュアルにではなく「趣味として」やっていく選択が常に含まれている。もちろん、その選択は暗黙のうちになされることもあるだろう。だが、少なくとも、活動を趣味としてやっていく時点で、その人は自らの興味関心に従って、一つのライフスタイルを選び取ったのだと考えられる。
また、趣味としてやっていくという選択は、活動をカジュアルなものに留めない選択であるのと同時に、仕事にしないという選択でもある。それは必ずしも消極的な選択とは限らない。もちろん、プロになれなかったから、稼げていないから、活動が「趣味にしかならない」場合もある(『「趣味に生きる」の文化論』第9章ではそのような事例として地下アイドルが論じられている)。だが、多くの趣味人は、プロとして稼ぐことをそもそも念頭に置いていないのではないだろうか。仕事にできないから趣味としてやっているというより、仕事にせず趣味としてやっているのである。
例えば、私の場合、大学のサークルに入ってから10年間フラメンコを踊ってきた。10年間続けてきたのはフラメンコで食べていくことを目指してではない。趣味としてフラメンコの面白さを味わい続けるためである。時には「プロを目指さないの?」と聞かれることもあった。だが、そのたびに「プロを目指さないといけないの?」と聞き返したくなった。フラメンコは好きだが、仕事は仕事で別のことをやりたいのである。
このような「ある活動を趣味としてやっていく」という選択肢の意味は、YouTuber全盛の現代社会だからこそ、改めて捉え直す価値があるだろう。ゲームからアウトドアまで、今や様々な分野にYouTuberがいる。彼・彼女らは動画を通して活動の魅力や面白さを伝える一方で、「好きなことで、生きていく」という価値観を体現している。ここでの「生きていく」とは、「好きなことを生涯にわたって楽しんでいく」という意味ではない。好きなことを収益化し、好きなことを仕事にする、という意味である。「プロを目指さないの?」という質問の派生形として、現代では「どうせならYouTubeもやらないの?」という問いかけがある。
そのように問われて、実際にYouTuberを目指すのか目指さないのかは本人次第である。だが、少なくとも、YouTuberを目指さないからと言って、その人が何かから逃げていると考えるのはお門違いだろう。あくまで、好きなことを趣味としてやっていく道を選んだのである。実際、収益化を目指すのは活動に対する大きな制約となる。自分の楽しさと視聴者の需要を天秤にかけることにもなるだろう。それに比べれば、仕事で稼いだお金を使って自分の好きなように趣味を楽しむ方が、好きなことで生きていると言えるかもしれないのだ。
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